中村うさぎさんコラム「どうせ一度の人生・・・なのか?」part.58〜自分の中にある「魂」の存在、魂の実感〜

「攻殻機動隊」というアニメが好きなうさぎさん。シリーズによく出てくるゴーストという表現から、単に幽霊という意味合いではない比喩的存在や自身の思いを考えます。

私の大好きな「攻殻機動隊」というアニメシリーズには、よく「ゴースト」という言葉が出て来る。

全身義体で脳も電子脳の半分以上サイボーグなヒロインが「自分とは何か」を問い続ける物語なのだが、そこで彼女が己の非論理的な行動を説明する時に「そう囁くのよ、私のゴーストが」という言い方をするのだ。

「ゴースト」とは言うまでもなく「幽霊」という意味だが、もちろんここでは比喩として使われていて、要するに「魂」とか「本質」などといった「目に見えないけど確かにあると感じるもの」を指しているようだ。

確かに、我々の魂は「幽霊」に近い。

目に見えないし、その存在を証明することもできないが、私たちは何故か自分の中にある「魂」の存在を実感している。

と、こんなことを言うと「じゃあ、魂も幽霊も信じないと言い張るおまえには実感はないのか」というツッコミをいただきそうだが、じつはこんな私にも「魂の実感」はある。
私の中にいる、私の核。
私がどんなに変わっていっても、決してブレない私の本質。

そいつがいるのを感じるから、私は私でいられるのかもしれない。
だが、そいつは決して、私の前に明確な姿を現さない。
常に影のように幽霊のように私に寄り添いながら、「違うでしょ、それは」とか「本当にそれでいいの?」などと囁いてくる。

人によっては、これを「神」とか「守護霊」とか「メンター」などと捉えるのかもしれない。
でも私は、この「ゴースト」を、外的なものではなく自分の一部と考えている。
これを外的なものとして捉えてしまうと、私は自己決定権と自己責任を手放すことになるからだ。
それは「神の声」ではない。「私の声」だ。
その「声」に従った責任は、すべて私のものである。
ただ、その「声」があまりに絶対的な響きを持つので、ついつい「神の声」などと解釈したくなってしまう気持ちはよくわかる。
でも、違うんだ。これは「私の声」なんだ。絶対的でも何でもない。ましてや正義などでもない。ただの未熟な人間の考えに過ぎない。

私がスピリチュアルに対して抱く違和感は、おそらくここにあるのだろう。

単に自分の声でしかないものを、「神」とか「天使」とか「守護霊」などと祀り上げる度し難きナルシシズム。
そんなものはいないんだ。
私は誰にも守られず、誰にも導かれず、たったひとりでこの広い世界に放り出されているだけだ。
そして、そこで私の為したことはすべて私の決定であり、私を突き動かす力は善でも悪でもない。それは、良くも悪くも「私そのもの」なのだ。

「攻殻機動隊」のヒロインは、「私の記憶はどこまで私自身のものなのか?」「私の意思はどこまで私自身の意思なのか?」という問題で悩み続ける。
それは彼女の「私は私でありたい」という必死の戦いだ。
たとえ間違っていても、それが「私の決定」である以上、私は己の行為に責任を取れるし矜持も持てる。
安易にそれを「神」や「霊」と呼ぶのは、無責任な自己正当化に私には見える。

スピリチュアルの人たちは、話してみると結構いい人が多い。
たまにヤバい人もいるけど、たいていは「善良な人」たちだ。
だから、私はその人たちの世界観をぶち壊す気はないし、そんな権利が自分にあるとも思わない。
人はそれぞれ、自分の信じたいものを信じて生きればいいのだ。
ただ、それを他者に強要してはならない。

何故なら、それはあなただけの「神」であり、全人類の「神」ではないからだ。

私の言いたいこと、おわかりいただけるだろうか?
私は宗教やスピリチュアルを批判する者ではない。
自分の神を世界の神だと考える人々の思い上がりを批判している。
そして、それは「神」でなくても、「思想」や「哲学」にも言えることなのである。

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