【インドへの旅、そのプロローグ】
Amalin Story#3

Amalin Story#3 (#1と2からのつづき) 私が旅立つ時、スピリットの風が吹く。初インドへのスピリチュアル・ジャーニー。新生アマリンの誕生物語。
【インドへの旅、そのプロローグ】<br>Amalin Story#3

[人生が一変、闇のトンネルから抜けて光を生きる旅が始まった!]

太母(たも)さんとの最初の対話は私を完全に変容させ、それまでの私はその瞬間に死んだ。

あの日から30年近く経った今でも続く、世間の風潮や生き方でもある闇に流され、あきらめ気分でなんとなく生きている、世の中に充満し切った夢遊病患者のように、ずっと夢の中(マヤ)で眠りこけて生きてきたのだ。

そういう風に世間に習って生きる以外ないと思い込まされてきた。
この世間そのものが「マヤ」であり、夢でつくりあげられた現実、浮世だ。

私の悪癖の根源だったともいえる、33年間にも及んだそれまでの無意識な生き方に、太母さんのおだやかで暖かいオーラが放つ意識(光)が一条の鋭い光として差し込み、きっぱりと終止符をうつことができた瞬間だった。
長きに及ぶ私の人生体験のなかで、意識して光を選ぶ決意が起こった一瞬でもあり、過去何億年にも及ぶ闇と苦悩に、意識のろうそくを灯した歴史的目覚めの第一段階だったともいえる!

時々、太母さんが今も生きていてくれていたらと思う。
きっと、私たちは随分と楽しく『いまここ』旅を共にすることができたのだろうし、今の私ならば、もっと彼女の言動を理解し受け取ることができたに違いない。
私の太母さんに対する感謝はとめどもなく、感謝とお礼の渦として、今なら、たくさん、たくさん、お返しすることができたのにとも思う。

でも、きっと、今こうして書いていることですら、もう既にその思いだけでそうなっている、そういう風に宇宙の流れの中でことが起こっているのだろう。

すると、太母さんの赤ちゃんのように天真爛漫な笑顔が『いまここ』でまぶたに浮かぶ。
私も時空を超えて、同時に微笑んでいる。

ああ〜ありがとう太母さん……。

 

[韓国のお坊さんパクさんとの出会い、その背後にもあったOSHOと太母さんのご縁]

その最愛のスピリチュアルマザー、太母さんとのご縁で知り合った、韓国の心意気の優しい僧侶のパクさんを訪ねてみることにした。
その頃の日本ではまだ誰も初めていなかった、ロスアンジェルス仕込みのクリスタルジュエリーのビジネスも兼ねて、パクさんを慕って韓国を旅する経由から、インドのOSHOコミューンに入る計画がこの時期、突如起こっていた。
その計画の一番大きなきっかけになったのは、太母さんの一世一代、待ちに待ったインド行きの旅がついに実行されることが企画されていたから。

当時の若かりし私はこのまたとない機会を利用して、太母さんとOSHOにどうしても出会っていただきたいと心底願ったのでした。
太母さんが若かりし頃、とある霊能者のおばあさんに「覚者は命を狙われるのが常なので、時期が来るまで身を隠して過ごしなさい。時が満ちたら、仏陀が初めに教えを説いた霊鷲山に立ちなさい。」と言われていたそうです。

1989年晩秋のこと、太母さんのその月はついに満ち、太母さんとその周りにいる若人たちで一緒に旅するインドへの巡礼旅が、まさに起ころうとしていたのです。
このとき彼女はすでに83歳。
OSHOは当時57歳、ボディーを去るたった二ヶ月前のことでした。
ここから先の一世一代あるかないかの面白いお話は次号に続くことにしますね。

お楽しみに〜。

そして、お話はもう一度ソウルに戻ります。

ソウルの僧侶パクさんは既にOSHOに出会っていて、OSHOから直に韓国のOSHO大使の称号をもらっていたくらいなので、まさに強者(つわもの)ですが、一切エゴのない温和で優しい人でした。
一緒に過ごす間とてもあたたかで心地よく、今はとても懐かしい思い出です。
今頃はどこにおられるのでしょうか? 連絡できるなら、また、韓国まで訪ねて様子を伺いたい人のひとりです。

多分、もう悟っていらっしゃるだろう。