中村うさぎさんエッセイ 「死から生への逆さま巡礼」 PART.4 運命の分かれ道

中村うさぎさんエッセイ 「死から生への逆さま巡礼」 PART.4 運命の分かれ道

生き返りは運と偶然の重なり

私は何故生き返ったのか、という問題を時々考える。あそこまで死の淵ぎりぎりのところまで行きながら、いったい何者が私の襟首を掴んでこの世に引き戻したのか?

神や悪魔などという言葉を比喩的に文中で使うことはあっても、基本的にはその存在を信じていない私である。したがって今回の生き返りが神や悪魔の意思だとも考えていない。医師や看護師たちの素早く的確な救命作業に加えて、運だの偶然だのといった要素が重なった結果、私はけろりと目を覚まし、危ぶまれた重篤な後遺症も特にないまま、現在も普通に生きている、というだけのことだ。

この「運だの偶然だの」といった要素に、我々の人生は大きく左右されている。そもそも人間は、生まれた時から大いなる不平等に支配されているのだ。親からどのような遺伝子を受け継いだか、どのような家庭環境に育ったか……それらはすべて本人の意思も責任も関係なく、ただただ「運」である。

運を支配したりするのが神や宗教、スピリチュアル?

で、この我々を支配する「運」なるものを人格化した存在が神や悪魔であり、人によっては「先祖の霊」だったりするわけだ。掴みどころもなく対処のしようもない「運」を人格化してある程度人間に引きつけ、理解したり対処方法を見出したりしようとする試み……これが「宗教」であり「スピリチュアル」だと私は思っている。むろん、それが間違っているとか正しいとか決めつけるつもりは一切なく、それぞれが自分の納得のいく形で世界を解釈すればいいことだ。

たまたま私は、この世界を宗教的にもスピリチュアル的にも解釈しない。きわめて非人間的な「運」という要素に支配され翻弄される我々であるから、今回の生き返りの件も単なる「運」に過ぎないし、したがって「私は何故生き返ったのか」などと考えること自体が無意味である。だってそれは誰の意思でもないのだから。

ただ、我々は自分の人生に何らかの「意味」を持たせたいと願う生き物だ。人生が根源的に無意味なものだとしても、その人生を自分が生きている以上、そこに何らかの意味を付加したいと……すなわち、自分が生きていることには何らかの意味や価値があるはずだと、そう信じたい生き物なのである。そしてこの私もまた、その例外ではない。

(写真)中村うさぎさんブログ「うさぎ的日常日記」
2014年8
月6日「毎週水曜日はMXTV「5時に夢中!」生放送レギュラー出演日です。 2014/8/6(水)」より

 

「生」は「無」であってはならない

だから私は、このたびの自分の生き返りが基本的に単なる「運」の問題だとしても、生き返ってしまった以上は残りの人生に何らかの意味を持たせたいと考えている。

私がこの世に生まれたことも、死の淵から生還したことも、すべては無意味な偶然の結果なのだろうが、そこに自分なりの使命や意義を勝手に見出すのが私にとっての「生きる」という作業なのだ。そこで、私はまた当初の問題に立ち返る。

私は何故生き返ったのか? それはおそらく「死」という体験を通して私が掴んだもの……我々は「無」から来たりて「無」へと還っていく存在であること、だからこそ「生」は「無」ではあってはならないのだということ、我々はその「生」に自分なりの意味を付けていかなくてはならないのだということを、誰かに伝えるためではないだろうか?

小説家・エッセイスト 中村うさぎ

(写真)中村うさぎさんブログ「うさぎ的日常日記」
2014年7
月25日「夫が横で腕を組んでくれたら、杖なしで歩けるくらいになったの。」より

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