エンジェル・セラピスト®夫婦のスピリチュアル子育てPART.41~自分を責める前に受け取ろう(潤治編)

子どもを産み育てることの喜びと
責任に対する恐怖

娘の小葉が活動的になってきて、児童館やプレイルームなどの活用が増えてきました。
ママさんたちとの交流も増え、子育ての悩みなどを聞くようになってきました。

子供と一緒にいるということが幸せなストレスを通り越して、煮詰まってしまうこともお話しを聞いているとあります。朝から晩まで、定時で仕事が区切られているわけでもなく、ずっと一緒にいて子供と向きあっていれば疲労して、逃げたくなる気持ちになるのも当然のように思います。

子供という僕たち親の内面を映しだしてくれる鏡の存在は、向きあっていればいるほど細部まで映して見せてくれます。それはとても学びにもなりますが、その学びの量を調整できないためにナイアガラの滝を全身で浴びるような怖さも僕は感じています。

子育てをするということの偉大さを思うようになりました。
そして、多くのママさんとお話しをしていて、共感することも多く、自分だけで悩んでいると鬱々としてきそうです。男の僕ですら感じていることですから、ママさんたちのご苦労は想像を超えるものだろうと思います。女性は本当にタフですね。

そして、煮詰まる自分を責めてしまうなんてこともあるかもしれません。
愛情が足りない、母親として失格、何も生産していない虚しさ……と自分を責め立てる項目が幾つも出てきそうです。それらは幻であると思いますが、子育ての渦中にいるとそのような幻に心を痛めることもあると僕自身思います。その痛みを如何様にでも出すことができれば良いですが、自分のなかに持ち続けることは苦しいだろうと思います。

子育ては満点がない闘いとするか、何かアクションを起こせば結果に関係なくされる加点法とするか、僕たち親の人生への姿勢次第のように感じます。
子育ては子供の問題ではなく、僕たち親の問題というわけです。

ありがたいことに我が家は妻の実家の近所にあり、また僕の実母も近くに住んでいます。アラフォー出産、そして子育ては体力が20代の頃よりも落ちているので周りの協力を得ながら行っていく必要があると感じます。周りを巻き込みながらの子育てです。

子どもと実母の関係から
自分と実母の関係を見なおす

ありがたいことでもあり、気づきをもらう経験もすることになります。
かねてから、義母に娘をあずけたり、あやしてもらったりするのは問題ないのですが、実母がそれをすることには抵抗がありました。

僕の心がざわつくのです。

周りを巻き込みながらの子育てといいながら抵抗していました。
実母が娘の小葉をあやしてお互いが楽しそうにしていると苦しくなってしまうのでした。実母が僕を育ててくれた時も同じように優しくしてくれたのだろうか、甘えさせてくれたのだろうか、一緒に笑ってくれたのだろうか、そのような気持ちが湧きおこってきてしまうのです。

それは愛されたことへの疑いであり、自己否定にも繋がる機会になるのです。そのような面倒な場面に出くわしたくなかった自分がいました。それが実母に子育てのお手伝いをお願いしたくなかった理由です。

娘が1歳になるタイミングで、さすがに体力的に限界を感じ、定期的にサポートをお願いすることにしました。実母は優しく娘をあやし、面倒を見てくれました。僕の独りよがりの葛藤は簡単に解消され、自分自身も同じように愛情を注がれていたことを忘れていた記憶に見つけることができました。

そして僕自身の独りよがりの自責も実母との交流のなかで癒されていくことを感じています。

温かい実母の愛情を思い出す機会を受け取らないようにしながら、実は心の奥ではとても欲していたということに気づかされたのです。その後、お願いすることに抵抗はなくなり、娘をあやす実母に過去の愛情を思い出すのでした。
子育ては過去に愛された記憶を取り戻す機会かもしれませんね。