蛇音イチゴのスピ&癒しカフェ巡り♥ PART.35 ゆるりスピ散歩で心を癒す~神楽坂毘沙門天・善國寺

 

神楽坂毘沙門天・善國寺

TRNITY読者の皆様こんにちは! 今回は前回に引き続き、大人がしっとり楽しめる街・神楽坂のパワースポットをご紹介したいと思います。

毘沙門天様は古来インドより信仰されてきた財宝・福徳の神様。仏教では四天王の一人に数えられ、北方を守る仏法守護の神将。悪鬼を踏まえ、右手に宝塔・左手に矛を持ち、甲冑(かっちゅう)を身に着けた姿で知られている。七福神の一人でもある。

憤怒の表情は問答無用で悪を退治してくれそうな毘沙門天。神将とあって、勇ましい姿にほれぼれしてしまいます(笑)

 

そのせいかここ善國寺の雰囲気も、やわらかい空気ではなく少し重め。力強いどっしりとしたムード漂う空間になっていましたた。ムンムンとした熱気が漂う中、人々の祈りの力、念と言うものなのでしょうか強い祈りの波動を感じます。何かうまくいかなかった、落ち込んだ……、そんな時に喝!と自身に再生の道を促すために良い場所だと思います。熱気に当てられて、沈んでいた心にやる気が湧いてきそうなパワーを秘めています。そして、毘沙門天様は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったとされる事から、なんと狛犬ならぬ狛虎がお出迎えしてくれます。

 

みなさんにも時間があれば前回ご紹介した、赤城神社~善國寺とゆっくりと歩きながらのんびり散策をお勧めします。途中たくさんのお店が並び、まるでパリの道を歩いている様な外観のパン屋さんPAULが目に入ります。ずらりと並んだ姿も美しいサンドイッチや珍しいお菓子のようなパンたち。繊細で香ばしい美味しさに驚き!すっかりファンになってしまいました。

パワースポット巡りをしながら思う事、以前にも書いたかもしれませんが祈りの地や、清浄な土地には何かしら感じるものがあります。もしかしたらそれはただの私の気のせいかもしれません。ですが、これだけ人間が肉体的な物質社会に生き、化学も進化している中で聖地は変わらずに、信仰や敬いの心・祈りと共にそこにあります。

偶然という奇跡。「善」と「悪」

昔は、霊的な(と呼ばれるものかどうかは分かりません)体験から私も怖い思いを度々する事がありました。夜に一人帰る中、ふと目にとまる、二階建ての建物の窓にはりついているもの。人の形に近い黒い影と、羽のようなものがある異形の者。窓の外から、入る隙を窺うようにじっと中を覗き込んでいました。そのように明らかに悪意を感じるものや、そうでないものもいます。そういった経験からなんとなく、確かにこの世には、肉体を持たない【悪】(悪意)と言うものはあるように感じます。

でもだからこそ反対に【善】というものを感じる事が出来る。とも、思っているのです。偶然と言う奇跡にこれまでも何度も遭遇してきました。もちろんただの偶然とは思ってはいませんが……。小さな、奇跡。と呼ぶことにしています。きっと悪意の反対の【善】が、なにかしら人に良いチャンス・機会を与えたいと、ちいさなHAPPYを投げかけてくれているように思います。

しかしどうしても、ストーンと落ち込み、なかなか浮上できず迷いや答えが出ない、そんな事も多々ありますよね。そもそも答えはあるのでしょうか?ふと立ち止まって考えます。自身が努力することで見えてくることもあり、どうあがこうと結果が出ない事もある。向き合いたくない事・目を背けたい事もたくさんあります。病・別れ・争い……自身の望まぬところで、巻き込まれてしまうこと、どうしてもそれは現実に悲しくも起こってしまいます。

何故?何故私が?
自身に身に覚えのない不幸であればある程、そう思ってしまう事と思います。ですが、そこに足を付け、向き合っていくあなたのその様はなんと美しい事でしょう。悲しみに対し向き合い、生きていく。少しでも幸せになれるように、懸命に。そして悲しみを知っている人こそ、他者に寛大に、優しさを育めます。

もしかしたらこれこそが、魂の成長というものなのかもしれません。不幸に思えてもそれはきっと、必要であるからこそ起こりうる事。

もしそれでも立ち上がれないときは、聖地を訪れる事はお勧めです。生きていくうえで、パワースポットという存在は、無くしてはいけない人の心そのものです。だからこそほっとさせる何かがあるのかもしれません。謙虚さ・自然や神々を敬う気持ち、大切な人を思う気持ち。肉体を離れた精神世界の大切な癒しの場所。

みなさんも是非、波長の合うパワースポット、お気に入りの場所を見つけてみてください。自身とゆっくりと向き合い、きっと素晴らしい心の小さな芽がぴょっこりと芽生えるかもしれません。

それでは皆様、今週も素敵なスピリチュアルライフを!
蛇音 イチゴ