人生は「受け入れるドラマ」[江原啓之氏「スピリチュアリズム講座」レポート・後編]

「女性は自立して生きなさい。そのために、先回りして計画的に物事を進めることが必要なのです」

スピリチュアルな生き方、そこにはその時々の感覚に従って流れに逆らわず生きるというイメージがある気がします。しかし、江原啓之さんがスピリチュアリズム講座で語った女性にとって大切なこととは、もっと計画的かつ現実的なことでした。
自分が人生で経験する苦難自体は与えられた課題なのだから受け入れていく。ただ、前もって対策を立てられることについては手を打っておくといことが、とりわけ女性にとって大事だといいます。それは結婚以降の人生においてその意味をより強く感じることができるでしょう。

江原さんはビジネスの基本を例に挙げて説明していました。ビジネスの基本のひとつとして、「ケンカは先にしろ」ということがあります。
例えば、交渉先の企業担当者と企画ミーティングをしている状況をイメージしてみてください。相手の要求に対し、いい顔ばかりして「はい、できます」「大丈夫です」と返事をするタイプの人がいます。ミーティング時には話が盛り上がりますし成約率も上がるでしょう。ただ、後々トラブルや対応しきれない課題が出てくる危険性を大きくはらんでいるとも言えます。

逆に、あらかじめ先回りして「これはできないかもしれません」「こんな問題が発生したらどうすればいいですか」「この点が気がかりです」など、どちらかというとネガティブな課題についてしっかり確認できる人の場合はどうでしょう。あらかじめ課題点を共有して解決しておけば、安定したプロジェクト進行が望める気がしませんか?

ビジネスに限らず何事も、最初のうちはある程度テンションも高く、いい雰囲気で話が進むものです。その雰囲気を壊すことが怖くてつい愛想良く立ち振る舞いがちかもしれません。でも、こういういい状況にいる時こそ、先回りして課題を提示し共有しておくことが大切なのです。これが将来、問題が発生することを防いだり、方向が違ってきていると感じたときに軌道修正しやすくなる鍵となります。

先まわりして課題点を言えず愛想をふりまいてしまう、これは小我である、と江原さん。「私をかわいがって!」という小我が顔を出している状態です。これが自分の人生で蔓延してしまうと、後々トラブルに見舞われる可能性があります。たとえば結婚。ダメ夫をなんとかしたい、という相談者の多くが陥りがちな夫婦の共依存関係。もし、結婚当初から計画的に人生設計できていたら、特に女性が自立して生活できていたら、夫をあえて孤独な環境に置き妻は自力で生活していくという方法でダメ夫に人のありがたみを感じてもらい更生してもらうという道を進めるかもしれません。女性は「妻」「母」そのものになってはいけない。「妻」「母」という役割を演じればそれで良くて、演者である自分自身はいつも自分の足で立てるようにしておくことでおおよその家族問題の苦しみが軽減されるという江原さんの指摘は、家庭の役割にどっぷり浸かり問題を抱え込みがちな人に対して、自分を客観的に見つめ行動を起こすきっかけを与えてくれたように感じました。

そして話題は、東日本大震災後に多く用いられるようになった「絆」へ。「絆」「思いやり」などの言葉が美辞麗句になっていないか?という江原さんからの問いかけがありました。「絆」というのは良いことだけではない。みんな都合のいいところばかり見て都合よく動いているだけで、自分にとって苦しいことには目を向けず取り組んでいないということも多い気がするという指摘が。節電について例を挙げるならば、一人暮らししている人が実家に戻ればそれだけで節電になるのに、1人で暮らす心地よさや自由さは手放せず、家族と暮らす面倒さや不自由さが嫌だと言っている。都合のいいところ取りをしていては意味がない、痛いところに目を向けた生き方をしているか、自分に問いながら生きてほしいという話がありました。「絆」という言葉に対して違和感を抱いている人の中には、江原さんと同じような考えを持っている人がいらっしゃることでしょう。

スピリチュアリズム。

精神世界のことを知った上で、どう現実とバランスを取るか。直感的な自分と理論的な自分を共存させながら目の前の事象を受け入れることができたとき、今までとは違う次元で暮らせるようになるのかもしれません。

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