ハワイのメネフネは、一説には妖精と考えられているようですが、実はポリネシアの島々から、ハワイに最初にやってきて、カウアイ島に定住した小人族だと言われています。
メネフネは普通の人間の半分くらいの大きさしかないのですが、筋骨隆々でたくましい小人たちだったそうです。
そのメネフネは、恥ずかしがりだったので、昼間は森や谷間にひっそりと棲み、あまり一般の人と接することはありませんでした。
しかし夜になると外に出てきて、色々な仕事を恐ろしい速さで行っていたと言い伝えられています。
メネフネの伝説
メネフネには色々な伝説が残されています。
恥ずかしがり屋で、子供好き、そして彼らのひとりひとりが、モノづくりの達人だったのです。
そしてそのすぐれた技術を使って、一夜にして建物を建ててしまうという、人間離れしたパワーを持っていたとされています。
ところが犬が鳴いたり、鶏が鳴いたりして邪魔が入り、一晩のうちにその仕事を終えられないと、途中でほっぽり出してしまうという習性もあったそうです。
どうやらメネフネは犬や鶏が苦手だったみたいですね。
また何かを作るように頼んだとき、夜に作業をするメネフネの姿を決して覗き見してはいけないというのが、彼らの条件でもありました。
もし約束を破って途中で覗き見をしてしまうと、彼らは仕事を途中で止めて消えてしまうのです。
このあたりは、日本の民話である「鶴の恩返し」に似ていますね。
カウアイ島には、メネフネが作ったとされる水路、道路や養魚池がいくつも現在でも残されています。
メネフネに夜の間に仕事をしてもらうように依頼したならば、人間はメネフネにお礼を捧げる必要がありました。
メネフネはエビが大好きだったので、メネフネが出没しそうな場所に、日暮れの頃に、そっとエビをお供えしておくのだそうです。
メネフネと虹
ハワイでは、虹はメネフネによって作られたという伝説が残っています。
もともとハワイは、雨が降ると薄暗い空になってしまっていたので、メネフネたちは相談して、空を明るくするために、アヌエヌエ(虹)を空に作ろうということになりました。
虹を作る材料を探しに出かけたメネフネたちは、その材料を持ち帰ると、カフナ(祈祷師)に頼んで、彼の特別なパワーを使ってその材料を混ぜ合わせてもらいました。
それからその出来上がった雫を、弓矢を使って雲の中に射たのです。
すると雲の中の雨粒ひとつずつに、アヌエヌエの色がたくわえられたのです。
そして雨が降ると同時に、メネフネたちが望んだとおり、美しいアヌエヌエが空一面に輝き始めたのでした。
ところが本来の虹は7色ですが、でもメネフネが作ったとされる虹の色は実は6色だったのです。
6色の色は、王家の象徴である赤い羽根から採った赤、イリマの花から採ったオレンジ、バナナから採った黄色、シダの葉から採った緑、海の水から採った青、そして女王のシルクのドレスから採った紫だったのです。
メネフネが残したもの
メネフネがこの世に残したものは、今でも見ることができます。
そのひとつは、カウアイ島の南のナウィリウィリという場所にある養魚池です。
これはカウアイの王様がメネフネに頑丈な養魚池を作るように頼んだものなのです。
何千人ものメネフネたちが、ナウィリウィリより南に下がったカラヘオという遠い場所から溶岩を運んで、それを使って一夜のうちにその養魚池を作り上げてしまいました。
またカウアイ島のワイルア川には42キロもの長さの石造りの水路が残されており、「メネフネ・ディッチ」と呼ばれています。
この水路も、ワイメア川の水が枯渇しそうになったとき、その当時の王様オラが、メネフネに山の泉から水を引ける水路作りを頼んだとされています。
もちろんメネフネ達は、一夜にして水路を作り上げてしまいました。
その水路は固い岩盤に大きなトンネルを掘ったり、その頃の技術では考えられないような、非常に優れたものでした。
その水路はキキアオラ(オラ王の水路)と名付けられ、現在では観光名所のひとつとなっています。
その後、普通の人間との混血が進んだメネフネたちは、このままでは純粋なメネフネ族の数が減るということで、ハワイを旅立つことに決めます。
しかし、今だにハワイでは時折メネフネのような妖精を見たなどの目撃談もあり、メネフネの霊が今もなお、ハワイに棲みついて見守ってくれているのかもしれませんね。
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