生まれ変わりの仕組みを理解すると、生きる目的が見えてきます(中編)

大切なものほど失ってからそれに気づき、取り返しが出来ないことに絶望することがあります。 この、時間があり、決して逆戻りは出来ない世界で過ごすというのは、この世で生きる意味のひとつとして、非常に大きなものといえます。

※この記事は前回からの続きなので、前回の分を読んでからこちらをお読みください。

「明けましておめでとうございます。今年がみなさんにとって良い年になるよう祈っています」

と、よく言いますが、グループソウルからすると、すべての年が良い年、すべての人生が良い人生と言えるのでしょう……。

 

あの世には時間がありません

個人レベルで見た場合、生まれ変わりをする目的は千差万別で、それこそ人の数だけ理由がありますが、根本的な目的はあります。
あの世と比べると、地球はとても制限された特殊な世界です。

わざとこのような世界に来て、あの世に居続けていてはなかなか学べないことを学ぶのが、この世で生きる醍醐味であり、生きる意味と言えます。

以下に、この世の特殊性を大きく3つに分けて、そうした特殊な環境で過ごす意味を考えてみましょう。

この世に通信を送ってきている霊がしばしば強調するのは、あの世には時間がないという事実です。
この概念を詳しく説明するにはかなりの字数が必要なので、分かりやすい実例をいくつか示すだけにしましょう。
例えばあの世では老いることはありません。

あの世では、それなりの界層に行けば、皆自分の一番好きな年齢の姿を選んで過ごしています。
大抵は25歳くらいの姿です。

ただし、非常に幼くて亡くなった子供は、ある程度自分で判断出来る年齢になるまで向こう側で自然な成長を続けます。
これが唯一、あの世にいても時間の感じられる例かもしれません。

年齢を自由に選べるようになったら、ずっとその姿のままで、歳を取ることはありません。
ただし、別の顔になることは出来ません。

厳密に言うと、生まれ変わりは止めてしばらく経って、それ以上に進化しようというくらいの界層になると、別の顔になることも可能です。
とは言え、実際そこの界層に行くともう人間の姿を使うのは止めてしまうのが普通です。

逆に言えば、煩悩がバリバリに残っている状態で、美男美女としての人生を過ごしたいと思ったら、選択肢は生まれ変わることしか無いわけです。

話がそれてしまいましたが、あの世では何も食べなくてもずっと過ごせるし、ほっておいても物が腐ることはないし、いつも一方向に変化して行くものがありません。
そのような場所で学び続けるより、タイムリミットを決めたこの世で何かを学ぶほうが、当然必死になりますよね。

大切なものほど失ってからそれに気づき、取り返しが出来ないことに絶望することがあります。
この、時間があり、決して逆戻りは出来ない世界で過ごすというのは、この世で生きる意味のひとつとして、非常に大きなものといえます。

 

この世は界層の違う人たちの出会いの場

この世とあの世の大きな違い。
あの世では同じようなレベルの人だけが集まってひとつの世界を作っているため、違うレベルの人達と会う機会がほとんどありません。
さらに、界層が違いすぎると、会ってもお互いを認識出来ません。

この世でも「類は友を呼ぶ」ということわざで分かるように、似たようなレベルの人達だけと過ごしがちですが、それでもあの世に比べてはるかに、他のレベルの人達と出会う機会が多くあります。
そしてこれこそが、この世で生きる大きな意味のひとつなのです。
極悪人と聖人君子が出会い、お互いに影響し合うことが出来るのです!

極悪人と聖人君子が出会った結果、極悪人が悔い改めましたというのはよくある話ですが、別に聖人君子が堕落してもよいのです。
堕落した結果として、今まで経験したことのない人生を歩むのならば、それはそれで、その人生は実りあるものだったと言えるでしょう。

個人個人の人生としては、今までよりももっと精神性の高い人生を望むのが普通だと言えますが、グループソウルの視点からすると、「人生」の捉え方そのものが違うのです。
あるひとつの人生でとことん精神性が落ちる生き方をしたとしても、グループソウル自体はそうした経験も踏まえて、あの世に跨る「本当の人生」の質を高めているのです。
ここら辺が、生きる意味を考える際の難しいところです。

私たちが生きる意味。
かなり核心に迫ってきていますが、まだまだ語ることはたくさんあります。

この先はまた次回。

 

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