トリニティウェブ読者の皆様、いつもお世話になっております。
お陰様で前回の記事では全世界に先駆けて、「凝り=変性タンパク質」というニュー・パラダイム(新しい枠組み)を、わたくしアヴァンギャルド鍼灸指圧師ハリィーが提示することができました!
これまでの「凝りは乳酸の蓄積」という固定概念に一石を投じるこの凝りの新宣言により、今後、大いに凝り論が盛り上がることでしょう。いわば凝り学におけるインディペンデンス・デーをここで引き寄せたのです!
凝りレヴォリューション・ムーブメントの到来に、ご支援、ご協力の程、お願い申し上げます。
さて、めでたく凝りの新概念を打ち出して少し気を良くしたお調子者のハリィーが次ぎに仕掛けるは、そうです、東洋医学における最大のミステリーにして、根幹概念である、「気(き)」に関する私流の解釈論です。
ここ23年間の臨床経験を通じて指先の向こうで胎動する気の声を聞きとり、気の息吹を感じ続けた鍼灸指圧師が、満を持して気の持論を公開します。
さあ、いよいよ、ハリィーのドキドキ気論の始まりです!
『気は触れるもの』
皆さんは気と聞いて、まずどんな事を連想するでしょうか?
たぶん即座に思いつくのは、空気投げや遠当てなどの武道気功などに見られる触れずして、相手をふっ飛ばしてしまう、あの劇的な気功パフォーマンスではないでしょうか?
あるいは漫画「ドラゴンボール」のカメハメ波や、映画「スター・ウォーズ」シリーズに登場する、ジェダイの騎士たちが操る不思議な理力・フォースを連想する方もいるかもしれません。
これらの気は言わば見た目にわかりやすい超能力的な気とひとくくりにできます。しかし、こうした気功における派手なパフォーマンスは気というもののほんの一面を表しているだけで、気の世界の本質ではありません。
あくまでテレビを主とするビジュアル時代にふさわしいメディア受けするイメージとして、こうした派手な気パフォーマンス概念が醸成されたのです。
では、気の本質とは何なのか?
私の日々の臨床経験から結論すれば、気は触れずしてヒトやモノをふっ飛ばす武器やバズーカ砲の延長としての、荒々しい物騒なモノでは断じてありません。
むしろ見た目には何が起こっているのかは、ほとんどわかりませんが、気は患者さんの身体に触れて、あくまで静謐な心境で我が身、我が心を清らかにして、指先に意識を集中した時に、ふと指先に感じるモノ、触れるモノであり、つまり気とはこの手と指でジカに触れることができる生命力の実体です。
『気は動くもの』
私が患者さんの身体を触っていて気と呼べるモノを感じたのは、幸運にもこの仕事に就く前の、まだ鍼灸の専門学校に通う初学の過程においてでした。
爾来、23年間、臨床に入ってからは、ほぼ毎日、ヒトサマの身体を治療するなかで、指先の気を感じ続けております。
患者さんの身体を指圧しつつ、凝りの集積ポイントを見つけ、そこへと親指の先を押し当てて、静かにジッとかなりの長いあいだ押したまま、待ちます!
何度かこうした長時間ストローク指圧を「活きた凝り」に仕掛けていると、変性した筋肉細胞のDNAが指圧の押圧ストレスに応答して、セントラルドグマを起動します。
この機転においていわゆるヒートショックプロテインが発動して、筋細胞内の変性タンパク質の修復が開始されます。
その瞬間に、わたしの指先には、なんとも言えない不思議な動きが感じられるのです。その動きはまるで「活きた凝り」のなかでトグロを巻いていた小さな竜が、やおら動き出した!そんな感触です。
凝りとは気のカタマリ、気の溜まりであり、気の凝りは触れば動き出します。
つまり気とは動くのです。
『気は命』
人間は動く物、「動物」であり、また、人間という生き物は、「活き物」でもあります。
気が活き活きとその体内で動いていれば、ヒトの体壁筋肉系には凝りなど発生せずに、ヒトは健康でいられます。
しかし、もしも凝りが発生してしまったら?
そうその時には、慌てずに、早めにその凝りをセルフケアすればイイのです。
まだ「活きた凝り」のうちに、筋細胞内の半熟タマゴの変性タンパク質を、ネバネバヒートな養生法を実践することで、生タマゴに変換する。
この究極のトロトロ・セルフケアを実践すれば、あらゆる万病を予防できます。
もしも半熟タマゴの「活きた凝り」をカッチカチのゆでタマゴの「死んだ凝り」にしてしまうと、細胞核ゲノムに非可逆的な変異が起こり、手遅れとなってしまいます。
「活きた凝り」にこそ、生命力の実体、命の秘密が隠されていたのです。
気は命のみなもと、だからその気が集積したツボである「活きた凝り」は、気のパワースポット、命の泉です!
前回の記事はコチラ:
『養生アルカディア 凝りを巡る哲学的考察とセルフケア』vol.6~