必要な人間と思われたい! ~ でも、私は誰からも相手にされない ~

そもそも人間なんて信じられない!

私は一人が悪いと言いたいわけではありません。
一人で生活したり一人で遊んだり、一人で仕事をする方が好きという人がいたって少しも不思議ではありません。

ただ、本当は寂しがり屋で孤独に耐えられなくて仲間に飢えている。
だからこそ、絆を強めたいし、友情も愛情も求めている。

でも誰からも相手にされない。
もし、そのように思うなら、アドヴァイスはひとつ。

友情や愛情、ご縁がつながるかどうかは結果論として、まずは自分からアクションを起こしましょう。
それしかありません。

「だって……自分から親しくなろうと誰かに近づいて嫌われたらイヤじゃないですか……」という人、数え切れないほど多いです。
でも、考えてみて下さい。

自分を嫌うであろう相手と、そもそも本当に仲良くなりたいのでしょうか。
だったら最初から、そんな人に近づく必要はありませんよね。

「だって……どうせ私なんて……」という人。これも意味がわかりません。

「どうせ私なんて」と思っているのに自分からはアクションを起こさず、向こうから気にかけてくれないと自分は誰からも相手にされないとふてくされるのですか。
「どうせ私なんて」と本心で思うなら、黙っていたら相手にされないわけですから、自分から動かなければ自分に興味を持って貰えるわけないですよね。

「表面的には仲の良いフリをしてくれると思うけど、心の中でどう思っているかわからないと不安じゃないですか……」という人。

重症ですよ。
基本的に他人の心の中なんてわからないですよ。
ある程度予想はできますが、予想は結局は予想ですよ。

自分を仲間だと思ってくれている証拠を出さなければ人間が信じられないってとても悲しいことだと思いませんか。
裏を返せば自分が相手を信じていないのです。

仮に、誰かがあなたを信じてくれていて仲間だと思ってくれていたとしても自分が他人を信じていない時点で仲間ではないですよ。
相手にされないのではなく、自分が相手を仲間だと思っていないのです。

 

生々しい話

キレイごとではなく現実的な話をすると、人間関係は相性がものすごく関係します。
仕事でも恋愛でも友人関係でもそうです。
みんながみんな大の仲良しで熱い友情で結ばれているかというと、必ずしもそうではありません。
みんなどこかで妥協しているのです。

でも、その妥協というのは必ずしも悪いものではないと私は思っています。
だって相手との関係を少しでも良くしようと思っているからこそ妥協という面倒な手段を取っているのですよね。
考え方によってはそれは思い遣りとも言えると思います。

それに自分だってみんなに親切丁寧に接しているのかと言われればほぼ間違いなく違うと思います。
相手によって態度を絶対に変えているはずです。
場合によっては他人を平気で傷つけていたりすることだってあると思います。

自分が軽視されたら腹を立て、自分が軽視する時は「人ってそんなものじゃない?」という。
これは完全におかしいです。

だったら、他人が自分に対して思い通りに想ってくれなくても不思議ではないということですよね。
でも、そんな人間関係の中で上手にバランスを取りながら共存しているんですよね。

本当は嫌われていたとしても、あからさまに嫌がらせをして来たとかではなく社交辞令であれなんであれ最低限のマナーで接してくれればバランスって取れますよね。

どんなにカリスマな人だって万人ウケはあり得ないのです。
アンチだって一定数は必ずいるのです。

興味も関心も持ってくれない人だって一定数はいるのです。
そういうものなのです。

「自分が好かれているかどうか気になる」という気持ちはわかります。
でも、それ以上に大切なのは、あなたが相手をどう思っているか。
どういう人間関係を作りたくて、どういう言動を選択しているか。

これが大事なのです。

 

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