模範的な人生ってどんな人生? ~私らしい人生を歩もう!~

人生

脇目もふらず勉強したり仕事したりするのは素晴らしい事です。
ただ、それは目指すゴールがあるからやっているわけで、いつでもどこでも、脇目もふらずガムシャラに何かをしていたら、世間から見たらもしかしたらカッコイイと思ってもらえるかもしれませんが、単に疲れただけで得られるものは逆に少なく疲れただけだった、なんてこともありますよね。

私たちの人生に正解はありません。
ただ「ねばならない」という考えかたに捕らわれすぎてしまうと、人生の幅が狭まってしまうので気を付けてください。

生きていれば、何かを能動的にしたくなるときもあります。
何もしたくない時もあります。
それは不思議な事でも何でもありません。
そんな時こそ、自分の心に従って欲しいのです。
自分にとって、どういう選択と決断をするのが最善なのだろうか、と。

理想的な生き方、模範的な生き方。
それは人それぞれ違っていいのです。
ただ、もしかするといつの間にか本当は望んでないのに誰かに、生き方を押し付けられてしまっているかもしれません。
そこに気づけば、自分の人生はきっと見えてきます。

一方で自分らしい生き方が見えてきても、それが他人にとっても理想的な目指すべき生き方だと思わないように気を付けてください。
自分の人生観を他人に押し付けられると、とても苦しいからです。

 

もっともらしく聞こえる危険な人生観

ちなみに「平均的な生き方が一番よね」とか「みんなと同じような生き方が安全よね」とか「普通がいちばん」と言っている人は、ちょっと危険です。

気持ちはわからなくもありませんが、それ、どんな生き方ですか。

「イケメンじゃなくてもいいから、普通の男性と結婚をして……」とか。
それ、嘘ですよね。
イケメン基準こそ、個人差が大きいですから。
試しに友達とイケメンについて話をしてみるとわかりやすいですよ。
「えー! あの人、イケメンかなー?」って言われた経験ありませんか。

あなたの普通(or平均的)って、自分の中で、という条件が付いている時点でそれが幻想だと気づきますよね。
衣食住や収入だって環境によって大きく変わってきますよね。

残念ながら「平均的な」「みんなと同じような」「普通が」とか、言っている人は、それが如何に危険なのかをわかっていないので、少しでも都合が悪いことが起こると、それを異常と思いこんで納得できないのです。

つまり「平均的な」とか「みんなと同じような」とか「普通が」と言っている人は、謙虚なようでものすごく傲慢なのです。
すべてが自分の思い通りである状態を「普通」と定義しているのです。

人生

当たり前と思っていることは、本当は当たり前でも何でもないですからね。
奇跡的な幸運に恵まれているから、今こうして生きていられるわけです。

そのことに感謝しながら「平均的な」とか「みんなと同じような」とか「普通が」という幻想にとらわれることなく、あなたらしい人生をどんどん切りひらいていってください。

 

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