積極的不登校と自己肯定感
「新しい魂たちが生まれてきている」と感じることが娘の存在とともに思う機会が多くなりました。親の期待に応えることよりも、自分の氣持ちを大切にすることを優先するような子どもたちです。
今、9歳の娘は、
「小学3年生になったら、学校やめる!(絶対)※そのまえかも……」
と僕たち両親に宣言しました。小学2年生の夏でした。
その宣言をすると、週に3回、2回、1回と学校に行く日は減っていきました。それと反比例するように、家族で話す時間や笑顔は増えました。
そして、娘の自立心も大きくなったように感じます。
「わたしの氣持ちを優先してくれてありがとう。」
自己肯定感というものは、こうした「わたしの氣持ちを優先してくれた。」というものから、育まれるのだろうと思いました。
学校に行かないという選択
「いつ、学校やめてもいいんだからね。」と、まるで、父親である僕を気遣っているように、小学1年生の秋に、娘は自分の氣持ちを話してくれました。
「え? 僕が行かせているのか?」
僕自身、学校はひとつの選択肢と思っていながら、自分が「考えもせずにいた案件」に向き合うことになったわけです。
今、現在、娘はとても活き活きと、朝のゆっくりした時間を過ごしています。
娘は「学校と縁が切れて嬉しい。」と毎日笑顔です。
実際は、縁が切れたわけではありませんが(ここからは親と学校の関係でのお話)。
「『子どもが自分の意志で学校に行かない』と言っている場合、義務教育期間中の子どもが学校に行かない『正当な事由』としています。(文部科学省HP「就学義務履行の督促」より)」
……にも関わらず、世間では、マイナスのイメージをつけて同調圧力をかけるわけです。
「ただ、学校に行かない」「学校を選ばないで学習する」が、「不登校」とすげ替えられて、「家庭に何か問題がある」「正常じゃない」「虐待」になってしまうことがあります。
そのマイナスのイメージをはねのけるほどの意志は、なかなか修練が必要です。家族で向き合う案件のおかげで、家族の結束も高まりました。
そのような中、娘は、全く意に介さないで、「自分軸」で生きています。
学校は行ってもいいし、行かなくてもいい
娘は「どうして学校に行く必要があるのか?」を自分なりに考えて、積極的不登校を選ぶことになりました。
親としては、「学校は行くもの」「みんなが行っているもの」という思いから、「学校に行きなさい。」と言いそうになることもありました。
しかし、そうした指示は、娘の力を奪うのだと自分の未熟さを自覚することもありました。
「一緒に考えよう」という姿勢がいかに大切かを娘のイヤイヤ期に感じたことを思い出しました。
彼女が2歳7ヶ月になる頃でした。
お散歩も、彼女の行きたい場所、歩くペース、どうしたいのか?
食べるものも、何を食べたいのか、食べたい時間は?
ひとつひとつ、お互いに擦り合わせしました。
娘が「わたしがしたいようにしたい!」という氣持ちを尊重すると、やがて、両親の言葉が彼女に届くようになりました。
食事も変なテンションで食べ物を投げたり、遊んだりすることもありました。
大人側も、反応して不機嫌になったり、怒っていたのですが、表出した言動ではなく、違うところに原因はあることに気づくようになりました。
「一緒に考えよう。」
「今の氣持ちを教えてくれる?」
わたしもパパとママのようなお椀で食べたい、一人前を自分だけで食べたい、取り分けて欲しくない、自分で食べたい、放っておいてよ。
彼女の本意はそこであり、どう主張して良いのか分からなかっただけでした。
こういうやりとりの中で、娘は積極的に自分の氣持ちを伝えるようになりました。
そして、僕自身もまっすぐに伝えてくる彼女の氣持ちに応えるだけでいいのだと肩の荷が下りました。
親のペースや、こうあるべきでしょ? というものさし(観念、思い込み)で彼女を計ることは、コミュニケーションを複雑にしてしまうと感じます。
子どもの「侵して欲しくない領域」を理解するには、親である僕が「待てるゆとり」を持てるかどうかにかかっていると僕は思います。
待つという意識すら、吹っ飛ぶくらいに、大人は自分に自信を持って、人生を歩みたいと思うのです。それが、きっと娘のためになるのでしょう。
僕たち大人の「常識」「思い込み」「観念」にやんわりと向き合わせてくれる娘です。
学校には行ってもいいし、行かなくてもいいと今では思えます。
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