人間関係を良くしようと努力したり、自己受容を育むために何が必要でしょうか?
話し方を変える
自分のヴィジュアルを変える
海外にいる本当の自分を見つける
自信がつくようなことにチャレンジしてみる
……そのどれもが素晴らしい方法ですね。
さて、
夫婦で運営するセラピーサロン「AQUAMIXT」では、先日の満月期に、「バカヤローLINEトーク」が開催されました。
ソーシャルネットワーキングサービスのひとつである「LINE」の中で、自分の「ムカつき」「苛立ち」「不満」「怒り」「暴力的な意識」を 解放していきます。
僕やパートナーの寛子が先頭に立って、「バカヤロートーク」をしていくわけです。
僕は「セラピスト」と皆さんに呼ばれるようになって十数年が経ちました。
喧伝せずとも、自分の生き方を貫いていると応援してくれる人たちは次第に増えていくことをこの十数年で感じています。
応援されている自分やセラピストとして見られている自分が、実際の自分とどうも食い違っているような気がAQUAMIXTの初期の頃はしていたものです。
セラピストなんだからと怒りや嫉妬などを無きものにすることもありました。
「先生」と呼ばれる自分の卑小さを一番知っているのは自分でありながら、それを隠しているような自分もいました。
まさに「ジキル博士とハイド氏」のような。
すべては、僕が癒しを誰かに提供しているという思いあがりのせいでした。
自分の中の暴力性や狂気、怒りや期待、投影、批判を抱え込みすぎて立ち行かなくなった同業者を多く見てきました。
同業者ではなくとも、こうした負の感情を抱え込んで、老け込んだり、病気になったり、嘘くさい物言い、顔つきや体型が変わっていく人はいるものです。
AQUAMIXTはありがたいことに、パートナーの寛子とぶつかり合ったり、お互いにツッコミあったりすることで、これらの負の感情を抱えずに済んでいます。
自分でごまかしても、パートナーは執拗にそこを突いてきて、隠している自分をあぶり出してくれます。
人によっては、「合理化」といって、罪の意識や自責の念から逃れるために,真の動機となる欲求を隠蔽しようと無意識的に働く心理的自己防衛をしてしまうこともあります。
暴力性や狂気、怒りなどを感じる自分の後ろめたさから逃れるために、何か理由を見つけて自分を言い聞かせるという感じでしょうか。
または、「こうありたいという自分像」があって、その自分を著しく汚してしまうことへの嫌悪かもしれません。
ですから、
「あの人も悪い人ではないから。」
「人のいいところを見るようにしよう。」
「手放すことに集中しよう。」
「自分の中の愛を見つめよう。」
「わたしはもっと素晴らしい人間のはずだ。」
と自分に言い聞かすか、諭すかして、自分の真の動機となる欲求を隠すというわけですね。
しかし、負の感情も自分の一部であり、それを愛せたらどうでしょうか?
愛せるとまで言わなくても、排除しない、分離しないでいることを許せたら?
裏表のない、澱みのない、葛藤のない、軽々しく自由な状況は、とても心地良いのではないでしょうか?
誰かに応援されながら、「バカヤロー!」と思える、表現できる場を大切にしていきたいと思っています。
あなたにはそのような場があるでしょうか。
もちろん、しらふで。
すっかりクリスチャンになった、僕たちの師事したドリーン・バーチュー女史も、「聖人になろうとしない。」ことをおすすめしていました。
人間らしい彼女の選択に、僕自身も「正直に生きよう!」といつも感じるのでした。
11月 バカヤローLINEトーク開催
http://aqua-mixt.com/archives/27218
AQUA MIXT オフィシャルサイト
http://aqua-mixt.com/
《水本潤治・寛子 さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/mizumoto/?c=33212