心・体・霊にフォーカスするスピリチュアルカウンセラー・加勢康晃氏~霊能力を与えられた意味とは?PART.2

前回ご紹介した、Trinity編集部が自信を持ってご紹介するスピリチュアルカウンセラーの加勢康晃さん(前回の記事はこちら) 。カウンセリングは今やリピーターが後を絶たず、常に一ケ月の予約待ちの実力者である加勢さんですが、その力を自分の役割として発揮するまでには、数奇な運命の導きがあったそうです。霊障と向きあった自らの運命を乗り越えて、霊性を受入れご自分の使命にするまでの、加勢さんの半生をご紹介。今回はそのPART.2です。

-その頃は霊能力を自分でコントロールできるようになっていたのですか?

この頃は、まだそこまでの自覚には至っていませんでした。当時の私は、実家が貸アパートを所有しており、すでにその一角で一人暮らしをしておりました。都市開発の候補地であることから、アパートの住民も皆退去しており、他には誰も住んでいませんでした。

霊との対話なる意識に目覚めた私でしたが、この頃が一番霊現象に悩まされた頃かもしれません。これまでのように、危険を及ぼすような霊障は収まったのですが、止むことのないラップ音や金縛りなどが頻繁に起こり始めたのです。今度は、不眠との戦いとなりました。

あまりにそれらの現象が煩わしく、友人の家を転々とした事もありました。「見えない恐怖」というよりは、「ただ止まない騒音」に悩まされるようなものだったと記憶しています。しかし運命のいたずらなのか、友人宅に泊めてもらう度に何かしらかの霊現象と対峙することが増えていきました。

ある友人宅で、誰かが階段を上るような足音がリピートして止まないという現象がありました。それに気づいた私は、裏庭にある倉庫に導かれ、その中で古い仏壇を見つけました。友人家族は新築の家に移ったばかりで、建替えと同じくして仏壇を新調したとのことでした。「新しければ良いのではなく、きちんと先祖の霊を新しい仏壇に移さなければなりません」と、まだ高校生になりたての私は、友人の親に説明し始めていたのです。私が伝えた内容の通りに、古い仏壇を戻して祀りなおした後は、その家の足音もすっかり止んだそうです。

この頃から、周囲の方々にアドバイスを求められるようになっていきました。学校でも決して霊能力という言葉は一言も使っていなかったのですが、友人からの相談、近所からの相談、人を介しての相談などが自然と続くようになっていたのです。

そんな日々の中で、関わりのある人への助言をしていこうという一番の動機づけになったのは、親友の事故を予知して救えたことでした。いつもと変わらず、ただ友人とくだらない会話に花を咲かせていたのですが、突然メッセージが下りてきて「山道をバイクで走っていた時に、耳元でなにか囁かれたことはないか?」とつい訊ねてしまいました。

友人はその言葉に青ざめていました。それは、誰にも話したことがなかったことだからでした。メッセージの本題は「暗闇の高架下を車で走っている時に、大きな事故に遭うから気をつけろ」という内容でした。当時の彼はバイクの免許はもっていましたが、車の免許までは持っていなかったので、見当のつかない話として終わりました。

二週間程経過した夜中に、突然その友人から電話で、震える声で「ありがとう!本当に助かった」と連絡が入りました。私が伝えた内容をイメージしていたおかげで、高架下を走っていた時に警戒をしていたとのことでした。事故は、彼のお兄さんの運転に同乗していた時に起きたのです。暗闇の対向車線から、車が突っ込んできたとのことでした。友人は、とっさにお兄さんのハンドルを横から倒し、紙一重で難を逃れたとのことでした。

この連絡の時に、予見が当たるか当たらないということではなく、大切な人が救われたという納得が自らの中に芽生えました。関わる人のために、この能力を役立てようという強い動機はこの時に生じたことだと思います。

しかし、予知能力者といった扱いに疲れ始めた頃に、はじめてタロットというアイテムと巡りあいました。我流ではありますが、自分なりの解釈と簡単なスプレッドだけを覚えて、日々に活かすようになりました。アイテムを通じて、メッセージを受取ることを覚え始めたのはこの時が最初でした。

―タロットが、能力をコントロールし、発揮できるツールになったのですね。

そうですね。何かを伝えることに抵抗はなかったのですが、それが特異体質として扱われることが嫌で、なにか道具のせいにしたかったのです。

タロットの当たる精度が高かったせいか、周囲や近所で大きな評判となり始めました。霊感で見たものを直接伝えることよりも、「タロットがそう導いている」と話すことの方が、人間関係は楽になりました。タロットを間に介在させると「占い」として人から受け入れられやすかったのです。

最初はただ質問のままに行っていましたが、占いで人々の悩みを聞くにつれ、段々と人が持つ「業の深さ」に触れていき、次第にその「占って欲しい」という要求から少し距離を置きたくなりました。

人の相談を受けては、それ以上相談事が続かないように、自宅には戻らず友人宅へ避難する、そんな時間がまた経過していきました。

この頃からまたひとつ、特徴的な出来事が起こり始めました。
道端の石碑や無縁仏の前で、必ず足が止まるという現象でした。そのメッセージに耳を傾け、求められるように花束を買ってきては供えるような、妙な習慣がしばらく続きました。妙な話なのですが、供える花を買うためのバイトをするくらいにまでなっていきました(笑)。これらのことで「亡き者」との対話が、実感をもって身についたように思います。

成人を迎え、サラリーマンとして仕事に就き、仕事あがりに時間があれば、ご紹介だけのカウンセリングを受けつけるようになっていました。口コミだけでクライアントが連なってゆき、気が付けば平均睡眠時間が4時間にも満たない日々が続いていました。

~つづく~

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次回は、スピリチュアルカウンセラーを本業とするようになった加勢さんが、どのようなお気持ちでクライアントに向き合っているのかをご紹介します。
加勢さんのTrinity WEBでの連載も間もなく開始します。お楽しみに!
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