〜自分自身がしっかりと自分の人生のオーナーになるとは〜「自分史上最高の理想のライフスタイル」を実現させる!

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【「自分史上最高の理想のライフスタイル」へと、自分をコーディネートする】

みなさん、初めまして。“マイライフコーディネーター”の服部ユミです。
「マイライフコーディネーターなんて、初めて聞いた」という方も多いと思いますので、簡単に説明させてくださいね。

マイライフコーディネーターとは、「自分史上最高の理想のライフスタイル」へと、自分自身をコーディネートできる人、導ける人のことです。
言葉を変えるなら、自分自身がしっかりと自分の人生のオーナーになる、ということです。

私の幼少からの変化とマイライフコーディネーターが出来たヒストリーが、以下のお絵描きムービーを見ていただくと、映像でも一目でわかります!
https://www.youtube.com/watch?v=WfuqygSi7M4&t=4s

当たり前のことのように思えても、多くの人がなかなか自分の人生を生きることができず、ましてや、自分史上最高の理想のライフスタイルを手にするなんて、私自身にとっても、おとぎ話の世界のことのように思えていました。

それほどに私は自己肯定感が低く、自分軸が築けないまま、他人軸の人生を生き続けてきたのです。
でも、人生というのはドラマチックなもので、自分自身を深く見つめ直し、意識や行動を変えることで、大きく変容させることができるんですよね。

1971年3月16日、岡山県岡山市で生まれた私は、この3月でちょうど50歳になります。
43歳のときに10歳年下の「自由人経営者」と出会い、結婚しました。

世界75カ国旅するパートナーに刺激を受け、コロナさえなければ、今年は二人で世界一周をしながら50歳を祝おうなんて考えていました。

家族は他にも、目に入れたいぐらい可愛い保護犬出身のチワワとキャバリアの2ワンコママをやっています。
仕事も「好きなことだけをやろう!」と決めてから、多くのお客さまに恵まれ、まさに公私ともにハッピーな日々を過ごさせていただいています。

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【ネガティブな刷り込みによる「マインドブロック」で心身がボロボロに】

今でこそこんなふうに、自分史上最高の理想のライフスタイルを皆様の前で披露できる私なのですが、30代半ばまでは、ずっと暗中模索の日々でした。

なぜ、そんな日々が続いてしまったのか、なぜ、私は自己肯定感が低かったのか。
そのことをお伝えしていきましょう。

私が育った家庭は、父が厳格で、家族全員が父親の顔色をうかがって日々を過ごしていました。
幼少期の私は本来、アクティブなタイプで、じっとしているのが大の苦手。学校だって抜け出しちゃうほど活発でした(笑)。

でも、好き勝手をすると、とにかく怒られるわけですね。進路も自分で好きには選べず、自発的に何かすることはすべて、周囲の大人たちによって抑圧されてしまうんです。

そうやって幼少期、思春期、青年期を育つうちに、「私はダメな子なんだ」「能動的に生きてはいけないんだ」「周囲の言われるがままに生きなきゃいけないんだ」という“刷り込み”が、私の心や意識の奥に形成されてしまったのです。

こうしたネガティブな刷り込みというのは恐ろしいもので、意識の奥深くの層である「潜在意識」に入り込んでしまいます。
そして、私の選択や行動に対して、その刷り込みが影響を及ぼしていくようになるのです。

ですから私は、大学卒業後、今考えたらとんでもないブラックなIT企業でパソコンインストラクター職に就くのですが、理不尽な目に合っても声があげられなかったんですね。
「周囲の言われるがままに生きろ」という刷り込みが暗に働いて、文句も言えず、心身をただひたすらボロボロにしていました。

こうした人生にとって不要な刷り込みは、「メンタルブロック」ともいいます。
メンタルブロックとは、過去の自分の経験や周りからの話から刷り込まれた考え方から、身動き取れなくなっている状態のことで、まさに私の20代はメンタルブロックに、思いきり支配されていたわけです。

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ただそれでも一つ収穫があったのは、人に何かを指導する「インストラクターの仕事は好き」「適職なのかも」と、感じられたこと。

マイライフコーディネーターを創始した今、教える内容はまったく違いますが、人に何かを教えるという才能だけは、宿命的に授かっていたのかなと思っています。

 

(次回に続く)

 

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