ココロセラピストが語る!? オタク要素は僕にとってギフトだった。~一昔前は恥ずかしかったけど、今は素直に嬉しい~

オタク

今となっては公言している話。

僕はオタクだ。何をいまさらという感じだが、僕はマンガもゲームも大好きだ。子供の頃は、ドラえもんが大好き過ぎて、漫画家になりたいと思っていた。結果的には何の才能もなく、努力もしなかったので漫画家にはなれなかった。自分がオタクであるがゆえに、自分自身の人生にどんな影響を与えてきたかを考えてみることにした。いわゆるアイデンティティについて、考えてみることにしたのだ。

オタクになったことでQOLは高くなっていた。

漫画家になれなかった、で話を終わらせるとバッドエンドのように思えるかもしれない。だが、そういう話がしたいわけではない。もし、本気で漫画家に、まだなりたかったら、本気で今からでも描き続ければ良いと思う。今は「とにかく休みたい」とか「とにかく怠けたい」「とにかくゴロゴロしたい」という気持ちが強いので、何かをガムシャラにする必要性はない。

QOL、すなわち人生の質というものは、あくまでも主観の問題だ。他人がどう言おうと本人にとって人生の質が高ければ、QOLは高いのだ。そう考えると、僕のQOLは必ずしも低くはない。

人生勝者のステレオタイプ。

世間は体育会系が未だに力を持っている気がする。確かに納得できる面もある。気合と根性で常に成長続ける自分。これはカッコいい。僕もできれば成長し続けたい。だが、この成長というものがクセものなのだ。人は誰しも成長し続けたいと願っていると思う。しかし、みんながみんな、ドラゴンボールの孫悟空のように、永遠に強い対戦相手を求めて戦い続けたいかというと、そうではないと思うのだ。

勉強や仕事をし続けてたのしければQOLが高いといえるかもしれない。だが、そうじゃない人も、実は案外いるのではないだろうか。言わないだけで。地位、名声、富。人が望むものって、こういうイメージではないかと思う。だが、これらを得るだけで、人生の勝ち組になれるのだろうか。QOLが高まるのだろうか。

もちろん、これらを否定しているつもりはない。僕もカリスマは欲しいし、お金も、増やせるならもっと欲しい。地位とか、名声は、そんなにいらないけど。でも、たぶんセットなんだろうな。巷ではやっている自己啓発系も、なんだかんだで、他人を支配できるようになるとか、お金を増やせるとか、そういうのが多いんじゃないかと思う。それこそが、人生最大の幸福だと言わんばかりに。だけど、そのために、血を吐くような努力をし続けたいかというと僕はNOとしかいえないというのが本音なのだ。

仕事もギャラが増えたら嬉しいが、必要以上に重い責任を押し付けられたり、ひとりじゃどうにもならないような激務を押し付けられるくらいなら、そこまでして望まない。もしかしたら楽して稼げる方法もあるかもしれないが、誰かに責任やタスクを押し付けて、というか誰かを犠牲にしてまで、そういうものに執着したくはない。とりあえず、自分の中で割に合わない立場やタスクを取りたいとは思わない。

QOLに話を戻すと、自分自身の心身の健康を保つことが僕の中では優先順位が高い。こんなことをいうと誤解されそうだが、自分のためとはいえ、小さな見栄のために、自己犠牲したくない。少なくとも、僕のQOLの高低の基準はこの辺で決まる。かつての気合と根性で自分自身を常に最高の状態に高め、億万長者であり続ける人でありつづけることが高いQOLであり、勝ち組だというのであれば、僕は本当に最下層の部類だろう。

パワーバランスの問題。

僕はオタクだ。部屋にこもって活字やマンガを読むのが好きだ。映画やDVDを観るのも好きだ。こういってしまうと、ダメなヤツそのものに思えるかもしれない。だが自己弁護させてもらおう。一応、生活費は稼いでいる。自分の生活そのものを犠牲にしてまで、引きこもってオタ活したいわけではない。

ワーカーホリックも大問題だが、オタホリック(※そんな言葉はない)も大問題だ。オタ活しすぎて、アニメ関連グッズを買い漁り、必要なくても、推しキャラの絵が描いてあれば手あたり次第、買ってしまうとか、ライブに行きまくるとか、ゲームしすぎて仕事を休むとか、そういう生活は僕は決してお勧めしない。最終的にQOLが下がるからだ。

オタクのどのあたりがギフトなのか?

一昔前はキモイ存在と見下されてきたオタクだが、今現在、僕がオタクだからこそQOLが高いと思えるポイントについて語ろうと思う。

1. 好きな世界でいつでもどこでも楽しめる。

僕は子供の頃、ドラえもんが好きすぎたという話をした。四次元ポケットがあったら、なんて空想するのが大好きだった。タケコプターで空を飛ぶ空想もした。新しい秘密道具を知るたびに、まるで、のび太くんのように、空想の世界で秘密道具を駆使して遊んだ。このイメージングの経験は今の人生にも大きく役立っていると思う。

2. 好きだから、何度でも楽しめる。

僕は子供の頃、コロコロコミックが大好きだった。一冊買うと、一か月間に何度も何度も繰り返し読んだ。間違いなく元は取れていたと思う。大人になってからはコロコロコミックは買わなくなったが、好きな映画のDVD等は、何度も何度も見ている。たぶん僕だけじゃないと思うが、本当に好きな作品は、何度見ても楽しいので、飽きが来ない。来たとしても、少し間を開けて再び触れてみると改めて違った良さを知ることができたりして、やっぱり、それが好きだったんだと自分を再発見する。

オタクは単なる消費者なのだろうか。

オタクは消費ばかりで生産性のないイメージがあるかもしれないが、決してそんなことはない。自分でいうのもなんだが、僕は好きなものはずっと好きなので、繰り返しになるが何度でも楽しめるので、ある意味、コスパは最高だと言える。オタ活は現実逃避に思う人もいるかもしれない。だが、オタク生活をして、現実世界とは違う世界を生きているようでも、寝て起きたら、きちんと仕事に行く。きっちり働く。ここで、生き甲斐がなくなったらQOLが下がるが、帰宅後や休日に楽しみがあるから、QOLは下がらない。

必ずしもお金にはつながらないかもしれないが、絵を描くのが好きな人は描き続ければうまくなると思う。二次小説を書くとか、そういうのも同じだ。表現力は、どんどんアップしていくと思う。それは、とても素晴らしいことだと思う。世界観を、きちんと理解しようとしたり、キャラクターの気持ちを考えたりしていたら、世の中を冷静かつ客観的に見られるようになるかもしれないし、他人の気持ちを考えられるようになるかもしれない。

自由に生きろ。

これは、僕自身の話だ。すべてのオタクが僕と同じ価値観だとは思っていない。そして、現実逃避が悪いとも思っていないし、努力や根性が間違っているとも思っていない。これは強調しておく。僕は、たくさん自己主張してきたが、これはあくまでも僕という人間にとってのQOLについての話だ。僕は、賢くもないし、優れているわけじゃないし。でも、別に自己肯定感が低いわけじゃない。でも、改めて自分を見つめ直してみると、結構QOLは高いじゃないかと思えて嬉しい気持ちになってきたという話だ。

たとえば仕事でリーダーになって、仲間を統率するのが好きという人は、それはそれで、やりがいもあると思うし、楽しいと思う。巡り巡って社会はよくなるかもしれない。休日に、スポーツをしまくる人も、楽しいと思う。デスクにかじりついているだけが人生じゃない。他人のために貢献するのが好きな人は、ぜひそれを続けて欲しい。家族を大事にするとか、地域の人とのふれあいを大切にするとか、本当に素晴らしいと思う。

人の数だけ、人生があり、人の数だけ、しあわせがある。あなたのQOLの基準はどこにあるのか、ちょっと立ち止まって、考えてみて欲しい。案外、等身大の自分のままで高いQOLかもしれない。




  

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