ココロセラピストが語る!? 時間という概念について改めて考えてみた。~可能な限りマイペースが良いと思う~

時間

映画を観てきた。

『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』というアメコミ映画を観てきた。映画でここまでスッキリと泣いたのは久しぶりだ。思いっきりお勧めする。良い気分で劇場を後にできる。「おもしろかった」というのが純粋な感想だ。だが、あくまでもこれは僕自身の中での話だ。おそらく、この作品に関しては、僕だけでなく、きっと評価は高いと思う。

なのだが、手放しで万人ウケするとは思ってないし、無理に勧めるつもりもない。観て欲しいのは本心だが。というのもタイトルを見ても分かる通り、この作品は3作目なのだ。そして、この作品はおそらく、最終章だ。違うかもしれないが。1作目は約10年前に上映された。特にMARVEL作品はクロスオーバーも多く、厳密には、3作だけ観ればすべてが理解できるわけではない。これはあくまでも主観だが僕の中では「良い作品だった」というのはもちろんだが、長い長い物語が、良い感じで完結したという印象でもあるのだ。

「俺は長年、MARVELを追いかけてきた。ニワカ連中にはこの面白さは伝わらないぜ!」と言いたいわけではないので、ここは強調しておく。それをいうと僕もニワカな部類だ。長くなってしまったが、映画の話をしたいというよりも、時間について話したいと思った次第だ。自分の中で熟成された時間が、この作品に更なる深味を与えてくれたかもしれない、という主観の話だ。

1年は365日。1日は24時間。

1年は365日。1日は24時間だ。これは誰しも平等に与えられたものだ。自分の人生の質(QOL)を高めるために、時間を如何に活用するかというのは古来から現在までずっとテーマになってきた問題ではないだろうか。ここで改めて思ったことがある。僕はオタク気質なので、偏った生き方をしていると自負している。オタクのすごいところは、オタ活をするためには手段を選ばないというか、気合の入り方が尋常ではないところだと思う。

だとえば、先ほど映画を観たと話したが、僕は映画が大好きだ。もちろん、そのために仕事をさぼったりはしないが、自分の中で期待値の高い作品は、気合で公開初日に観に行っている。くたくたで疲れていても、それこそ気合と根性でレイトショーに向かうのだ。そして、翌日も遅刻することなく、何事もなかったかのように仕事に行く。

普通に考えれば、そこまで無理しなくてもと思うかもしれない。プライベートなことは、まとまった時間のある時にすればいいじゃないかと思うかもしれない。だが、敢えて言おう。そんな時間何処にあるというのだ。時間は有限だ。そして、必要な時間はその中から自分で作り出すのだ。後回しできるものなら、後回ししても構わないが、その辺の価値観も個人差が大きいと思う。自分にとっては後回しできないものだって人生にはたくさんある。まぁ、マーケティング的にいうなら、その心理を狙って消費者をコントロールしようとしてくるから、癖が悪いのだが。

なんだかんだでそんな余力があるのなら、その気合と根性を仕事に注ぎ込めば良いのにと思うかもしれないが、サービス残業に気合と根性を注ぎ込んでもQOLは上がらない。そして、普段から仕事を怠けているつもりも毛頭ない。勤務時間に少なからず生産性がある結果を出せば、少なくとも文句は言われない。でも、仕事が人生において重要な人は、割に合わなかろうが何だろうが、情熱を注ぎ込むと思う。僕はそれが悪いとは思わない。大事なのはその人にとってのQOLなのだから。その辺に関しては単にとやかく言わない方が良い。

休日についての考え方。

時間は平等に与えられているかもしれない。だが、模範的な時間の使い方がないわけではないが、必ずしもそれは万人に通用するわけではないし、個人差がある。たとえば、育児中の親や、親を介護している人にとっては24時間、心休まる時間がないかもしれない。日曜だから休める、というほど甘くはないかもしれない。遊びに行ける時間、ゴロゴロできる時間が平等に与えられているかというと、それはまた別問題なのだ。

ひとによっては、休日こそ、勉強したり、仕事をしたりして、他人と差をつけるチャンスだと思うかもしれない。体を鍛えるとかもそうだ。とても、良いことだと思う。ただし、それを本人が望んでいて、その人のQOLが上がるのであれば、だ。なので、気をつけて欲しいのだが「休日に寝て過ごすなんて、勿体ない!」とか、しつこく言うのはナンセンスだ。その人にとってQOLが上がりそうな事を勧めるのは良いと思うが、そこは相手を見て、空気を読みつつ、提案してあげればよいと思う。

自分自身の話をすると、子供の頃は時間があれば、とにかくお出かけしたり、遊んだりしたかった。それがとても楽しかった。だが、今はどうかというと、休日こそ、休みたいのだ。翌日バリバリ働くために体力を温存しておきたいのではなく、若いころのような回復力がなくなってきたからだ。

怠けて暮らしたいわけではないが、可能であれば、もっと仕事量や時間を減らしたいと思っている。これは、きっと僕だけではなく、多くの人が思っていると思う。休日にゴロゴロして過ごすなんて人生を無駄にしていると思われるかもしれないが、それは違う。休日にしなければならないタスクがあれば、こなさざるを得ないが、許されるなら、全力で心身の回復に時間を使いたいのだ。これは、人生の無駄とは言えない。

以前にも書いたが、太く短い人生を生きたい人もいれば、細く長い人生を生きたい人もいるのだ。人間は社会性の動物だ。だから、なんとなく、みんな同じ価値観で同じルーティーンで生活しなければならないように思い込んでいる節がある。その割に、多様性だ、個性だと言っている。これから先、どうなるかわからないが現代は矛盾したカオス時代なのだ。



  

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