ココロセラピストが語る!? 細く長く生きるという選択~太く短い人生が必ずしもカッコいいわけではない~

人生

燃え尽きる話。

僕は飽きっぽい。大抵のものは直ぐに飽きてしまう。趣味も仕事もそうだ。意識があちこちに移動してしまって落ち着きがないのかもしれない。そう言い切ってしまうと、自分のイメージダウンにつながるかもしれないが、実は、そういう風には思っていない。案外、僕同様に、飽きっぽい人は多いのではないだろうか。

飽きっぽいと言っても、実はそう単純なものではなく、燃え尽きてしまったという状態も、それに含まれると思っている。「もう、いいや………」という諦めに近い状態。「もう、イヤだ………」という拒絶に近い状態。とにかく、結果的に継続拒否したくなる状態になってしまう人は、絶対に多いはずだ。

根性論。

僕は根性論が好きではない。「石の上にも3年」という言葉も、言いたいことはわかるが、本当にそうなのだろうかと本気で頭を考え込んでしまう。この言葉は簡単にいうと「最低でも3年間は頑張ってみようよ」ということだ。何事も3年続かないと、飽きっぽいと思われるか、根性なしと思われる。その表現からすると、僕は、間違いなく飽きっぽいし、根性なしだ。ヘタレだ。書いていてイヤになるが、そういうことだろう。だが。本心では、ヘタレかもしれないところは認めるが、自分の人生でそれが必ずしも間違っているとは思わないし、これからも思わないだろう。

僕は問いたい。本当に石の上に3年いると人生がプラスに好転するのか。間違っているかもしれないが、僕はNOだと思う。雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も、石の上に居続けたら、どうなるか。悟りを開けるようになるまえに、大病を患うか、命を落とすと思う。

自分にとっての価値。

もし、その石が自分にとって本当に価値があるのであれば、矢でも鉄砲でも降ってこいと構えることができるかもしれない。だが、自分にとって価値がないものであれば、そこまで執着する必要はないのだ。たとえば「○○さんは5年、頑張ってるよ」とか「△△さんは、10年頑張ってるよ」とか、周囲にあれこれ言われるかもしれない。でも、冷静になって考えて欲しい。○○さんは、本当にしあわせそうだろうか。△△さんはイキイキとしているだろうか。目に輝きはあるだろうか。QOLは高そうだろうか。

もし、そうなら、少しは検討の余地があるかもしれない。だが、あきらめの境地になっているだけに見える。惰性に流されているだけに見える。こういうふうに映ったら、その人は成功事例にはならない。「耐えているのはわかるけど、だからなに?」ということだ。会社でいうなら、社畜になりだがった人だ。そして、原点に立ち返って欲しいのだが、あなたは○○さんでもなければ△△さんでもない。あなた自身なのだ。唯一無二の存在なのだ。誰かを参考にするのは良いことだと思うが、最終的には自分がどうありたいか。どんな明日になっていたら嬉しいかどうかで考えて欲しい。

根性論2。

夢を追っているときは、つらくても耐えられたりするものだ。別に耐えられなくても、まったく構わないし、悪くも間違ってもいないのだが。たとえば「俺は、漫画家になる!」と10年描き続ける。でも、一度も雑誌掲載されたことがない。これが、愚かなことかどうかは、本人にしかわからない。お金や名声は得られないかもしれないが、10年間、夢を追いかけ続けた実績は手に入る。誰もほめてくれないかもしれないが。この価値は何だろうか。それは自分自身で目指すべき道を決めて、たゆまぬ努力をし続けたことだ。

これが、誰かに、やれといわれて、やりたくもないのに、無理に自分の心に噓をつき続けて続けた結果ならどうだろう。そこには達成感も満足感もないのではないだろうか。根性という存在を否定するつもりではない。だが、根性の使い方は意識した方が良いと思う。すべてが根性、ド根性では、単なる脳筋だ。あなたには知性がある。そうでしょ。

元気でいて欲しい。

僕は自慢にも何にもならないが転職歴が多い。世間一般から見ると、ダサい職歴のヤツに分類されるだろう。開き直りたいわけではないが、結果的に、それが僕にとっては最適解だったのではないかと今でも信じている。僕が仕事を辞めるときのほとんどは心身がボロボロになってしまったときだ。というか、僕じゃなくても、ほとんどの人がそうではないかと思う。生きるのがイヤになったり、人間が信じられなくなったり、憎くて許せなくなってしまったり、限界に達したら辞めてきた。それって、悪いことなのだろうかと思う。

もし、長く居続けたら、人生が終わっていたかもしれない。生きていたとしても、人間不信で、四方八方の人間を憎悪の対象として見るようになっていたかもしれない。そんな人生、いくらお金を積まれたとしても、僕はお断りだ。履歴書が汚れようと、明日という希望を持てる生き方の方が、少なくとも僕にとっては健康的な生き方であり、QOLの高い状態だと思えるのだ。「根性がない」のではなく、「正しい判断ができた」と同時に「生き延びる選択ができた」というのが正解だ。だから、今もこうして元気でいられるのだ。

最近流行りの不登校問題もそうだ。学校に行くことが必ずしも人生の成功ではない。だが、仕事を辞めるのも似ているが、別の選択をするというのは、前例が少ない道を進むということだ。それこそ、メンタルも、知恵も、勇気も問われるかもしれない。だが、石の上に3年しがみつかずとも、別の選択肢があると信じて生きている間は、きっと明日が来る。

太くて短い人生。細く長い人生。

短い人生でも、多き花を咲かせることができればしあわせなのだろうか。僕にはわからない。だが、そういう正解も確かに存在するのだろう。それを否定するつもりはない。かつての僕は太く長い人生がカッコいいと思っていた。でも、年齢を重ねるにつれて、細く長くという人生観が自分にとってはベストに思えてきた。自然体で、自分の心身を犠牲にすることなく、継続できるものがあると、とても安心感が得られる。趣味であれ、仕事であれ、同じだと思う。

情熱を注ぎ込めるものがあれば、それにこしたことはないが、なければならないものでもない。そして、気が付けばライフワークになっていたというようなものこそ、実は大切なのではないかと思う今日この頃です。時には頑張ることも必要だけど、末永くお付き合いできるような人生を。



  

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