ココロセラピストが語る!? 自分をそんなに悪く思わなくていいこともあるんだよ。~ところかわれば、自分が変わらなくても評価は変わる~

評価

五月病にならないで。

新年度が始まると、すぐにやってくるのが五月病の季節。僕は、五月病云々の前に、一年中、ぐっすり眠る時間をもう少し増やしたいと思っていたりするわけで。たぶん、僕はきっと他の人より、睡眠時間を欲しているんだろうなと思う。

僕の話ではなく五月病の話をしよう。とにもかくにも新しいスタートラインに立つと、とにかく気疲れする。いい感じで自分のペースを掴んで軌道に乗れた人は良いけれど、もしかすると、周囲に少しでも良く思われようと、プライベートでも仕事でも、少々気合を入れすぎて、頑張りすぎてしまった人はいないだろうか。

そうすると、もしかしたら、すごい人と思われるかもしれない。しかし、無理して演じている自分を演じ続けると、普通に考えると、ものすごく疲れてしまうわけだ。自分を成長させるために、ちょっとだけ背伸びして、徐々にそれが慣れてくるというのであれば、問題ないし、むしろ良いことだと思う。だが、明らかに自分の限界を無視したような立ち振る舞いをしていると、それこそ心身が正常ではいられなくなると思う。なんにせよ、できるだけ五月病にならないように、いい感じでマイペースになって欲しい。

悪いけど君は何処に行っても通用しないよ?

「悪いけど、君は何処に行っても通用しないと思うよ」というような感じの言葉を言われたことはないだろうか。実は僕は幾度かある。おそらく、有名大学卒でもなければ、取得困難な資格を持っているわけでもない。花形の経歴があるわけでもないから、足元を見られているのだろう。これ、実際に言われるとわかるんですけど、あからさまに馬鹿にされている気がしてショックを受けるんですよね。僕も昔は、そんな言葉に傷つき、凹んでいた時期もある。今となっては笑い話だ。

今のご時世だから、もしかしたら差別だ、パワハラだと大騒ぎすれば、言った相手を陥れることはできるかもしれない。だが、そんなことをしたところで、面白くもなんともないだろう。自分のクレーマーとしてのスキルがアップするだけだ。何の自慢にもならない。「まあ、学歴社会だしね………」と人生を諦めてしまう人もいるかもしれない。学歴以外の事でもそうだが、何らかの条件を社会不適合者に当てはめてしまうと、生きているのがつらくなる。

では、ここで反論させて戴きます。「じゃあ、私は何をして生きていけばいいんですか? 何処でも通用しないなら生きていてはいけないという意味ですか?」という事になる。存在否定も甚だしい。なので、この時点で、気づいて欲しい。他人の存在を簡単に否定してくるような輩の言葉に説得力などないということを。

ちなみに、自己評価をひたすら落として、不安を煽るというのはマインド・コントロールの基礎的なテクニックだ。人は、極度な不安に陥ると、誰かに救いを求めたくなる。マーケティングなどでも頻繁に使われるテクニックだから、騙されないためにも頭の片隅に入れておくことをお勧めする。

ブラック会社も、よくこの手法を使う。アイデンティティを崩壊させて、自分自身をを完全に無能だと思わせれば、他人を操れるのだ。他で通用しない自分を想像させると、就職活動が怖くなり、転職されにくくなる。さらに、「そんな無能な君を温かく受け入れてあげているうちの会社はステキなんだよ」という印象さえ与えられる。辞められると困るのは会社ですから。従順に従う職員を増やしたいに決まっている。ブラックなら、なおさらだ。

知っていれば、どうということもないテクニックだが、知らないと精神崩壊につながるので注意が必要だ。繰り返すが、そんなことをいう輩の言葉に価値はない。もしかしたら、本当に成長させてくれようとしているかもしれないが、モノには言い方がある。自戒の念を込めて言うが、言葉は誰かを救うこともできれば、傷つけることも簡単にできてしまうのだ。

ところかわれば。

それはそうと、実体験をしたから言えることだが、自分自身を必要以上にすごい人と思わせる必要はなく、ダメなヤツと自己暗示をする必要もない。友人関係でも、仕事でもはっきりいえば同じことが言える。同じ自分でも、誰と関わるかで評価は変わる。別に何らかのスキルを手にしたわけではなくても、好かれるときは好かれるし、嫌われるときは嫌われるのだ。勝手にすごい人と思われるときもあれば、それこそ無能の烙印を押されることもある。しかも、それらは必ずしも永続的にそういうわけでもない。

他者に対して尊敬の念を抱くことは大切だ。しかし、相手を美化しすぎてもいけない。何故ならその人だって、自分と同じ人間なのだから。大なり小なり欠点はある。運も影響してくることではあるのだが、自分の欠点をスルーしてくれるような人間関係の輪にさえ入れれば、無駄に苦しむことはないのだ。

もちろん欠点を開き直って「できませーん」「やりたくありませーん」「しりませーん」という態度を取りまくっていたら論外だ。だが、自分にできることを最大限に精一杯やって貢献していれば、少なくともイヤなヤツというカテゴリーには入れられないだろう。大切なのは他者を思いやる心だ。自己犠牲の精神を全開で尽くしまくれということではない。相手を尊重しないような輩が、良い人間関係を作れるはずがないということを言いたいのだ。

とはいえ、優しければ無能でも許されるわけではないということも忘れてはならない。自分にとって必要だと思うスキルは、少しずつでも身につけた方が良いし、直せる欠点であれば、直すに越したことはない。押しつぶされない程度に、緩やかにでも成長して良ければ、それで良いと思う。自分の事を好きでも、嫌いでも、結局は、それは自分なのだ。他人がどう思うかも気になるが、それも関わる相手によって評価は変わる。振り回されず、相手を陥れようとせず、卑屈にならず、いい感じでマイペースで生きられるように工夫してみて欲しい。



  

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