ストレスの感じ方は人それぞれ。
ストレスの感じ方は人それぞれだ。なんとなく思いつくワードは《怒り》かもしれない。怒りのコントロール法を身につけたい人もたくさんいるだろう。気持ちはよくわかる。イライラしていると、物事がうまくいかなくなる。うまくいかなくなるから、もっとイライラする。負の連鎖が起きてしまうからだ。だが、「ストレス=怒り」とは限らない。まずはイライラする。だから、イライラの奥底にある本当の気持ちを知ることが大切だ。もしかすると、こんな話を聞いたことがあるかもしれない。そうかもしれないが、それは怒りの属性が色濃く出る人の話だ。
僕は気が短いのでイライラが色濃く出ることも多かった。でも年齢を重ねてくると、イライラよりも別の何かでストレスを感じることが増えた気がする。極端に悲しくなる。「怒りを通り越して……」という表現があるが、比喩ではなく怒りの段階を飛ばして別の感情が色濃く出てしまうことは実際にある。また、感情うんぬんではなく、胸が締め付けられるように痛くなったり、息が苦しくなったりという露骨に身体症状が出ることもあった。
「胸が締め付けられるような」「胸が苦しい」「胸が痛い」などの表現は、比喩としても使われているが、実は比喩ではない。文字通り、締め付けられたり、苦しかったり、痛かったりするのだ。ダジャレのように聞こえるかもしれないが「生き苦しい」ときに「息苦しい」状態になる。元気な時は気づかないが、こうしてみると、心と体は密接につながっているんだなと改めて思う。確かに「心が軽い」ときは「軽い足取り」という表現を使う。マンガ的表現などでは、スキップしたりすることも多い。
ストレス対処法を見つけよう。
ストレスの根本的な問題がわかっていて、対処法がわかっていて、実行可能であれば、その状況から抜け出せるかもしれない。でも、ストレスが消えなかったり、継続してしまうほどの状況の時は本当に辛いと思う。みんなには、ストレス対処法を見つけて欲しい。「それができれば、苦労はしないよ」と思うかもしれないが、それはわかったうえで敢えて書く。ストレスに押し潰れそうになることは誰しもあるかもしれないが、くれぐれも自滅しないで欲しい。これは僕自身の体験を元にしているので万人ウケではないが、参考になればと思う。なりそうになければ軽くスルーして欲しい。
ストレスはさまざまな症状で出てくる。イライラ、メソメソ、胸が苦しいなどだ。身体が重い気がする、というのも、そうだろう。だからといって「メンタルの問題だから、考え方や気持ちの持ち方だけで解決すべきだ」と思い込まない方がいい。心と体は密接に関係している。なので、そんな余裕はないかもしれないが、可能な範囲でどちらにも意識を向けて欲しい。
☆日光を浴びる。
ストレスがたまっているときは日光を浴びるのがお勧めだ。とはいえ、僕の場合はメンタルが弱っているときは光のパワーが嫌に思えることも正直言えばある。まぶしすぎて、辛くなってしまうというか。なので、別に太陽を直視しろとか、そういう話ではない。家の中でも外でも良いのだが、日光が背中に当たるポジションを見つけることをお勧めする。
背中がソーラーパネルになっているようなイメージといえば想像しやすいだろうか。特に何かをしなければならないわけではなく、とにかく日光を背中にあてる。そうすると、身体がぽかぽかしてくる。血流が良くなってくるのが実感できる。そうするとストレスの直接的な問題が解決するわけではないが、気分そのものは徐々によくなってくる。
☆横になる。
ストレスがたまったときには開き直ってぐっすり眠れれば最高だ。だが、ストレスがたまると、眠れなくなることもある。無理強いするつもりはないが、そんなときは、眠らなくても構わないので横になってみると良いかもしれない。身体を動かしていた方が気が楽になる人は別だが、そうでなければ、省エネで横になるのも悪くない。もちろん、そのままずっと寝たまま生活で良いと言っているわけではないので、そこだけ気をつけて欲しい。
この際は、あまりまぶしくない方がいいかもしれない。可能であれば、背中に日光を浴びた後の方が良いと思う。ぽかぽかした状態の方がリラックスできるからだ。だが、光が強すぎるとリラックスできないので、横になってごろごろして、そのまま昼寝モードに突入しても大丈夫そうなら、薄暗い方が良いだろう。但し、暗いのが苦手な人は別だ。
☆規則正しい食生活はスルー。
心身の健康上、栄養は必要だ。なので食事のバランスも大事だ。だが、ストレスがたまりすぎているときは、規則正しく動けなくなる。というか、だから困ってストレスがたまっているとも言えるだろう。
あからさまに不健康なら、話は別だが、そうでなければ、食べたくない時は無理に食べない。食べたくなったら食べる。なんともえいないが、ストレスがたまりすぎているときは「ねばならない」が辛いのだ。食に限ったことではないが、生活リズムを整えられるほど回復しきっていないからつらいのであって、そこは、若干開き直った方が気が楽になる。但し、ストレスに関係なく悪習慣をつけないようにだけ気をつけて欲しい。
「朝だから、朝食……を食べなくてもいいんだ……」と自分に許可をしてあげる。義務から解放されることを許可してあげると心はほんの少し癒される。お腹がすいたら、案外勝手に足がキッチンに向かう。
お勧めはしないが、おまけ。
このストレス解消法は、本当に個人差があると思うのでお勧めはしないが僕がやっていた方法をネタとして書いておく。
☆お経やマントラを聞きまくる。
ストレスがたまりすぎていると、思考が滅茶苦茶になる。頭の中がゴチャゴチャしたり、ネガティヴな考えが頭の中をぐるぐるしたりする。考えるのをやめたくてもやめられなくなる。そんな状況が本当に辛い。宗教やスピリチュアルに詳しかったり、効果を実感できる人でなくても構わない。どちらかというと、心が弱っているときは何かに依存したくなり、その世界にどっぷりハマり過ぎてしまう人もいるので、そこは注意して欲しい。
僕がそれを試した理由は単純だ。お経やマントラの意味ではなく、発音やリズムに集中したかったからだ。それならば音楽でも良いのだが、気分を変えるのが目的ではなく、自分の思考をとめられなかったから、単調かつリズミカルで何と言っているか聞き取ることだけに意識を向けることで、余計なことを考えないようにしたかったのだ。聞き取れなくてもOK。覚える必要なし。やめたいときにやめてOK。この気軽さが大事だったりする。
少なくともこれを聞いているときは余計なことは考えずに済む。ストレスを解消したいのに、ひたすらお経やマントラにフォーカスしていたら疲れてしまうではないかという気もするが、実はそこが狙いだ。敢えて脳を疲れさせたのだ。ネガティヴな思考がエンドレスだと、落ち着かないし、仮に眠たくても、眠れなくなったりするが、ネガティヴ要素を排除した上で頭を疲れさせると、なんと、純粋に眠くなるのだ。眠いのに眠れない、ではなく眠いから寝てもいいよね、に意識が変わると案外眠れた。
横になっていたり、食事リズムが崩れたり、お経やマントラを聞き続けたりして、明らかに時間の無駄に思えるかもしれない。だが、本当にストレスで辛い状況なのだから、一瞬で解決しようと思う必要はない。もちろん、信頼できる相談相手がいれば、一人で抱え込まずに誰かの力を借りた方がいい。問題が解決できそうならした方が良い。だが、いつでもどこでも、その相手がタイミングよく力を貸してくれるとは限らない。みんな誰しも、その人の生活のリズムや予定があるのだから、それは仕方がない。
なので、対処療法であろうと何だろうと、自滅しないのが前提で、少しでもストレスを緩和できる手段を日頃から考えておいて欲しい。そして「こんな方法がいいよ」というものがあれば、仲間内でシェアしあうといいと思う。そして、自分も誰かに助けてもらえるかもしれないが、自分も誰かを助けられるように、周囲に優しさの意識を向けて欲しい。みんなでストレスに押しつぶされずに、元気に明日を迎えよう。