ココロセラピストが語る!? 未来はきっと今より良くなる~明るい明日をイメージして今日を最大限楽しむ~

明るい明日

僕はネガティヴ。

明るい未来の話をしようと思っている。だが、僕は基本的に物事を悲観的に考えてしまう癖がある。矛盾しているようだが、敢えてそれを否定する気はない。僕にとっての明るい未来というのは、100%の秩序や100%の正論で成り立っているわけではない。人間は常に矛盾を抱えて生きていく生き物だということを前提に未来を想像している。

しあわせの定義も、似たり寄ったりかもしれないが、個人個人に話を聞いてみると微妙にイメージが違うかもしれない。でも、誰もが「しあわせになりたい」と思っている。実に奇妙だが、そんなものなのだ。

スピ界隈では今は風の時代と呼ばれている。時代の区分方法は様々だが、過去も未来も、まったく同一同質の事象が起こることは、おそらくない。そう考えると、常に風は吹いているのかもしれない。とにかく僕たちは、よくわからない世界を生きている。誰もが一度は考えたことがあると思うが、自分の存在理由を明確に理解し、説明できる者はいないと思う。安定ってなんだろう。今って何だろう。未来ってなんだろう。

子供の頃、考えていたこと。

冒頭から混乱気味なことを書いたが、自分がよくわからない世界に生まれてきて、悲しいと言い切っているわけではない。矛盾を受け入れると、良いこともある。たとえば悲観的な自分がいるからこそ、物事の有難みを強く感じることができたりもする。僕はたぶん思考回路がズレていると思う。決して自分が正しいとは思っていないが、自分の考えや気持ちをを受け止めてあげないと生きていてつらくなるのもまた事実。

僕に限ったことではないと思うが、できれば誰かと対立なんてせずに生きられたらと願う。子供の頃、不思議なことを考えていたことがある。誰かとおしゃべりをしていた流れだったか、記憶は曖昧だが、世界についてだ。小学生の頃だった気がする。ちなみに政治の話がしたいわけではないので断っておく。

もしも、世界が何処かの国に統一されたら、世界は平和になるのではないか。ふと、そんなことを思った。当時の僕はこう考えた。同じルールがあって、同じ価値観があって、そんな世界なら、争う必要がなくなると。が、子供だったからか、興味関心が直ぐに他のモノに移ってしまうからか、すぐにその事は忘れてしまった。

その後、僕は大人になった。当たり前といえば当たり前かもしれないが、世界は統一国家にはなっていない。未だに、世界が平和かと言われると、そうでもないのが現実だ。子供の頃に考えた世界が統一国家になったら平和になるかどうかを今、改めて考えると、それはそれで怖い。当時の僕は考えていなかったのだ。もしも、極悪人が権力を握り、世界を牛耳ってしまったらどうなるのかということを。

そうなると、ある程度、権力は分散されていた方が安全なのかもしれない。摩擦はあるかもしれないが、自分とは異なる考え方を知ることができるかもしれない。そして、個人レベルにも通じる話だが、他者を認め、受け入れるということができるようになる、かもしれない。そうすれば、誰かが失敗しても誰かが成功して生き残ってくれるかもしれない。意気投合できずとも利害が一致すれば力を合わせることもできるかもしれない。

などと考えると、大昔に考えた僕の明るい未来は必ずしも良い未来ではないかもしれなかった。でも、聖人のような人が世界征服をしてくれたら、世界は本当に平和になってくれていたかもしれない。しかし、そもそも聖人は世界征服などしないだろう。などと、どうでもいいことを時々考えて頭の中で遊んでいる。明るい未来ってどんな未来なんだろう。どういう未来に進めば、明るい社会でいられるんだろう。じゃあ、今は暗いのか。そうかもしれないが、長い目で見ればそうでもないのかもしれない。

ドラえもん。

僕は、子供の頃からドラえもんが大好きだった。22世紀は、信じられないくらい良い未来だ。科学が発達していて、誰もが何不自由なく暮らしている。たぶん。まさに夢の世界だ。作家って本当にすごいと思う。作品を通して、世界を丸ごと作ってしまうのだから。ただ、科学が発達して便利な時代になっても、確かのび太のひ孫のセワシくんは、お年玉が少ないとかなんとか言っていたような気がする。記憶が曖昧で申し訳ないが、結局のところ、悩みのない時代ではない、という未来だ。ここがとても興味深い。

過去の世界にドラえもんを行かせて自分の先祖のフォローをすれば、自分の未来が良くなるのではないかとセワシくんは考えた。セワシくんは過去にフォーカスしたが、今の自分が良くなっているかもしれない別の現在、つまり別の未来を想像していたのだろう。すごい想像力だ。だが、現実的に過去を変えるとどうなるかは、僕にはわからない。SF世界ではいくつかの説がある。マルチバースとか。だが、やっぱり、よくよく考えると僕の頭では理解しきれていない。

未来を考えることが楽しい。

過去に戻る話をしてしまったので、ややこしくしてしまったが、未来を考えるのは楽しい。どんなに良いと思ったことをしても、必ずしも良い未来に到達するとは限らない。自分が最善だと思った言動を貫き通したら、結果的に敵が増えてしまったとか、そういうことも良くある話だ。正論だから正解というわけではないのだ。皮肉な話だが、戦争が起きたら経済発展して、なんとなく結果的に明るい未来に進めた気がしないわけでもない。でも、戦争が良いわけがない。

地球には、数えきれないほどの人間がいる。人間だけが偉いわけではないが、それぞれの個人に考えがあり、想いがあり、思い描く未来があり、そういうものが偶然という要素も含めて、交じり合い、未来に進んでいく。よさそうな時代が到来しても、それが未来永劫続く保証も何処にもない。世界は常に不安定だと思う。そこにばかりフォーカスしていると、本当に悲観的になってしまう。

だが、それはそれとして、みんなが、どんな未来に進みたいかを思いえがき、語り合えたら楽しいと僕は思う。もしかしたら、共通点が見えてくるかもしれない。時には対立者も出てくるかもしれない。傷つけてしまうことも、傷つけられてしまうこともあるかもしれない。それはとても悲しいことだ。だが、価値観が合わない相手の不幸を望むのではなく、その相手にはその相手にとってのしあわせがあるのだ。自分とは接点は消えた方が良いかもしれないが、その相手にも極力、元気でしあわせでいて欲しい。

後悔してもしきれないこともある。それでも僕たちは自分の足で未来に進んでいく生き物だと思う。その結果、どんな未来に進めるかはわからない。だが、そのプロセスの中で自分が少しでも成長できたのなら、それはそれで、良い未来に進めたということなのではないかと思う。

僕の人生は後悔と反省の連続だ。もしかしたら、それは僕だけではないのかもしれない。だが、まだ明日は残されている。未知なる可能性もたくさん残されている。みんなで、明るい未来をイメージし、語り合い、進んでいこう。


  

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