それでも僕たちは生きている。未来があろうとなかろうと生きている。~風の時代を恐れるな~

存在価値

生きていてごめんなさい。

実は僕は自己肯定感という言葉を否定するつもりはない。でも、なんでもかんでもこの言葉で解決しようとする考え方は好きではない。僕は周囲に傲慢と思われることも多々あるようだが、実はそんなことはない。本音を言えば、年に何度かは「生きていてごめんなさい」と心の中で思っている。とはいえ、それはそれで命を与えてくれた両親に申し訳ないし、生きていたかったのに生きることが許されなかった人に申し訳ないので、意図的に開き直るようにしている。本当に存在価値が自分にあるかどうかなんて、神様にしかわからないのだ。つまり、考えても無駄なのだ。

では、誰かに自分の価値を勝手に評価されて良いのだろうかというと、それも違う。たとえば僕が極悪非道の悪の大魔王だったら、歯向かう輩は全員、存在価値はなく、不平不満を言わずに従う者たちにだけ価値を見出すだろう。しかし、その際、彼らに人権は存在しない。つまり、全員とはいわないが他者の評価というのは、自分にとって都合の良い人間かどうかということなのだ。

戦争は、人をたくさん殺せば英雄になれるかもしれない。勲章もたくさん貰えるかもしれない。しかし、平和な世の中では、たとえどんなに許せない相手でも殺してしまったら殺人者になってしまう。その差は何だろうと思う。どっちが良いかという話ではない。人の価値、評価というものは当てにならないということだ。だから僕に限らず、隠れ自己肯定感が低い人たちはたくさんいると思うが、深刻にならないで欲しい。

「生きていてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい。〇〇さんに気に入られる言動ができなくてごめんなさい……」と思っても、「はい。自己否定終わり。GO TO NEXT STAGE!」という言葉で締めくくって開き直って欲しい。少なくとも僕は、それで気分がかなり落ち着く。もちろん万人に通用するスーパーメソッドではない。そういう考え方もある、程度の認識で構わない。「低い自己肯定感から脱却するたったひとつのポイントとは?」などという嘘くさい煽り文句で、あなたを騙す気はない。そんな方法が存在するのなら、ぜひ教えて欲しいものだ。というか、それが本当なら僕は無償でそれをあなたにシェアする。

自分の気持ちに嘘をつくことはできない。できるかもしれないが、難しいと思う。そして、自分を騙し続けると苦しくなると思う。少なくとも、僕はそのタイプだ。そもそも「自己肯定感が低い=悪」みたいな風潮が、僕たちを苦しめていると思えるのだ。しょうがないではないか。それが自分の内側から出てきてしまった素の感情なのだから。ネガティヴな感情も、一旦は自分の中で受け止める。「嗚呼、私は今、苦しいんだ……」と、自分自身が共感的理解を示してあげないと、次に進めないのだ。大事なのは、新しいステップだ。

諸行無常。

僕は、昔から、何処かに根をおろし、静かにそこで暮らし続けることが夢だった。仕事だってそうだ。できれば転々となんかしたくない。履歴書は汚れるし、新しい仕事だって簡単に見つからないわけではない。では、耐えられないレベルの要素があっても、そこに根をおろしたいかというと、それは違う。引き止められるかもしれないし、バカにされるかもしれない。裏切り者扱いされるかもしれない。無職になったと笑われるかもしれない。でも、心身が壊れてしまったら、本当に明日はなくなってしまう。根をおろしたいという願いはあっても、根をおろさない方が良い場合だってあるのだ。

残念ながら人生の成功テンプレートなんてない。あるかもしれないが万人に通用するわけでもない。世の中は諸行無常なのだ。そして一時的に時の権力者になっても、その時には既に衰退が始まっているものだ。だから盛者必衰という言葉が未だに残っているのだ。ちなみに、僕が盛者になった時期はないことは付け加えておく。僕は地味に暮らしたいのだ。

風の時代。

ものすごく個人的なことを言うと、正直僕としては風の時代という実感は、それほどない。ものすごく客観視して世相を見ていると、理解はできる。とはいえ、自分だけの話をすれば、常に変化の連続だった気がする。根をおろすどころか、常に不安定で風に吹き飛ばされながら、なんとか生きてきた気がする。自分の人生を否定しているわけではなくて、生きるとは、きっと、そういうものなのだろうなと思っている。

自分に信念がないとか自分に軸がないとか、そういう理由で吹き飛ばされて来たわけではない。だが、不可抗力は確実に存在する。だから悲観的になってしまうのは少しは仕方がないと思う。だからこそ、「次!」を意識して欲しいのだ。新しい未来に目を向けて欲しいのだ。不可抗力で人生が狂ってしまうこともないとはいえない。ということはレアかもしれないが、予想しなかったタナボタに遭遇する可能性だってゼロではない。そういう世界にはもはや理屈などなく、文字通り運なのだ。

時々勘違いされるが、運は超重要だ。でもすべて運任せでは危険すぎるからお勧めはしない。運気が上がって来ても、その幸運に気づかなければあっと言う間に通り過ぎてしまう。逆に、嫌な予感がしても、あからさまに直感を無視したら不運に見舞われてしまうだろう。そんなわけで、人生に正解があるかどうかなんてわからない。この激動の時代なら猶更だ。多数派が正しいとは限らない。少数派を尊重したら正解というわけでもない。価値観は時代とともに変わる。時代、とまではいわずとも、どの集団に属すかでも価値観は大きく変わる。

時代に敏感な人は、風の時代の到来で、もしかしたら焦りを感じているかもしれない。でも、焦らないで欲しい。冷静になって欲しい。繰り返すが自分の心に嘘をつく必要はない。自分の感情を受け止めつつ、冷静でいて欲しい。流れに乗るか、歯向かってみるか、離脱するか。これも正解はない。正解は自分で決めればいい。そして、少しでも自分の人生の質を高める選択をして欲しい。

  

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