醤油ペロペロ事件から振り返る情報発信の難しさとは~スシローは好きです。くら寿司も魚米もはま寿司も好きです。~

回転寿司

醤油ペロペロ事件。

またネット民がトラブルを起こしたのか。これが、僕が最初に感じた印象でした。事件は至ってシンプルで、スシローの醤油をぺロペロと舐めて喜んでいる動画をアップしたこと。もちろん、そんなことをしてはならない。以上、とここで話は終わらないのがポイントだ。

責任の分散、即ち無責任なままの破壊力。

多くの人が感じていると思うが、これを面白おかしく煽って犯人を特定したり、晒したりして喜んでいる人たちもまた、ネット民のトラブルのひとつだ。とはいえ、中には警察でも解決困難な事件をネット民の力あってこそ解決したという事例もきっとあるだろう。それは否定しない。ただ私刑目的で、あるいはゲーム感覚で、それを行っているなら少し冷静になってみる必要性があるだろう。

誰かを裁きたい、罰したい。そういう目的で都合のいい相手を探しているのであれば、少々悪趣味な気もする。といいつつ、その気持ちがわかる僕も確かに存在しているが。だが、僕らは『キラ(夜神ライト)』ではない。『デスノート』を読んだことがある人なら、ご理解いただけると思うが、あれはどう見ても神ではない。正義の味方でもない。当然ハッピーエンドにはならない。僕たちは安易に誰かの人生を終わらせてはいけないし、そんな権利はない。

ネットで考え方を議論する分には構わないと思うが、攻撃を目的とするのは文化人として少々ナンセンスな気がする。さらに、個々人が少しずつ、煽ったり、拡散したりして、ジワジワと攻撃力を増し、特定の相手に大打撃を与える方法は実に恐ろしい。責任を分散させ、ひとりひとりの私刑人の心は軽いまま、致命傷的ダメージを特定個人に与えられてしまうのだ。

ふと『スマイリーキクチ中傷被害事件』を思い出した。知らない人もいるかもしれないが、ふとしたきっかけで、もし自分がこの事件の被害者のようになってしまったらきっと立ち直れないだろうなと、心の底から震えあがる事件だった。余談だが、理不尽な悪評を流されると冗談抜きで笑えない。立ち直るまでにエネルギーを消耗しきってしまう。人生が無駄と思えるくらい悪い方向に進んでしまうから要注意だ。軽く悪口を言われるくらいならいいが、最悪、職を失い、収入源を失い、生活を失うことになる。

情報発信の難しさ。

言葉にはものすごいパワーがある。日本人はそれを言霊という。ただし、言葉は必ずしも相手に真意が伝わるとは限らない。それは忘れないで欲しい。僕も人のことは言えないが斜に構える癖がついているので、奇妙な視点で奇妙な解釈をしてしまう癖がある。とにかく情報発信するときは細心の注意が必要だ。これはネットに限ったことではなく、いつでもどこでもだ。

特に自分の考えを伝えるタイプの人は、気をつけて欲しい。正しいことを言っていても、間違ったことを言っていなくても、良いことを言っていても、一定数のアンチは出てくる。もちろん、それはら仕方がないし、いろいろな考え方があっていいと思う。でも、タチの悪い相手に遭遇してしまうと、勝手に変な解釈をして、怒り狂って何をしてくるかわからない。

特に現代社会はコミュニケーションが本当に複雑になってきている気がする。時には怖くて、喋れなくなる時もある。一方で、空気を無視し、問答無用で思ったことを口にして自己満足している『ポイズン』(※造語。「思ったことを言って何が悪いんですか?」という系の人たちの総称)もいる。言いたいことを言うのは構わないが、ひとつ忠告しておこう。そこにどんなレスポンスが来ても受け入れる覚悟はあるのか、と。

僕はない。だから、「これ以上言ったら、ただじゃ済まなくなる…」と思ったときは耐えている。誰もいないところで歯を食いしばりながら静かに涙を流す。ちなみに、これは比喩だから、心配無用。だから、少々、面倒ではあるが、言葉はできるだけ相手が傷つかないように配慮しつつ、わかりやすく伝えるように意識した方がいい。

情報の矛先。

情報の取り扱いに関して思うことがある。たとえば、この醤油ペロペロ事件。犯人を特定し、学校に、あれこれ質問したり、責任追及している層が一定数いるらしいのだ。たとえば我が子が家庭でトラブルを起こしてばかりだとする。親が心配になって「学校でのうちの子の様子ってどんな感じですか?」というならわかる。もしかしたら、イジメが起きているかもしれないし、仲良しの友達とケンカをしたのかもしれない。当然、逆もある。普段、元気な子が急に元気がなくなったら、プライベートで何かあったのか心配になることもあるだろう。

だが、「醤油ペロペロとか、どういう教育をしてるんですか?」と仮に本当に学校に問い合わせる人がいるとしたら、これは正直筋違いだと思う。小学校低学年ならもしかしたら、悪意なく、無知ゆえにそのような行為をしてしまう人がいるかもしれない。その時は、さすがに、正しい醤油の利用方法を教えた方が良いと思う。悪いことだと知っていて、やっていることが問題だとすると、道徳教育の質が悪いことが問題になるのだろうか。残念ながら僕にはそれはわからない。そんなことを逐一学校の責任にされたら、理不尽すぎて教師の数は激減して、学校という存在が危うくなってしまうと思うのだが、それでも良いのだろうか。

教育論をここで熱く語ると永遠に終わらなくなりそうなので手短に話すが、少しだけお付き合いいただきたい。今は、ちょっと注意しただけで「恐怖で児童を怯えさせるなんて何たることか!」ということをいう人も多いようだ。一歩間違えれば、人生が終わってしまうような出来事があれば、二度とそうさせないくらい危機感を持たせる必要性を僕は感じている。例えば、自分や他人を傷つけてしまう恐れがある場合などです。褒めて育てるのは大事だが、残念だが、それだけで人は育たない。

色々指導したくてもモンペが怖くて伝えたいことを伝えられないということも過去に比べて多いのではないだろうか。では、ペロペロ事件は親が悪いのか。それも違う。なんでもかんでも親のせいにするのも良くない。親も学校も、きっと一生懸命、子供の事を考えて育てていると思う。だがしかし、思い出してほしい。社会は家庭と学校だけで成り立っているわけではない。友達だって、地域の人たちだって、同じ共同体で暮らしている仲間なのだ。

不審者を警戒して見知らぬ人に深入りしないのはわからなくもない。だが、間違ったことをしている人がいれば教えてあげてもいいと思う。今回の事件で目撃者がどのくらいいたかは知らないが。もし、目撃してしまったら、逆ギレを恐れてスルーするのも仕方ないかもしれないが、こっそり、店員に話して注意してもらう等、なんらかの対応はできると思う。おもしろおかしくネタにするのではなく、僕たち自身が、安心してくらせる社会を目指すという心がけが大事だと思うのだ。

応援しています。回転寿司さん。

スシローの被害は計り知れない。この記事でスシローのイメージが悪くなっては困るのでフォローしておくが、僕はスシローが好きだ。くら寿司も魚米もはま寿司も好きだ。というか回転寿司は大好物だ。名前が挙がっていないお店については、決して嫌っているのではなく、行動範囲にないから未知数というだけで、たぶん、きっかけがあれば、たぶん通います。

常々思うのだが、必ずしもその企業に問題があるとは限らないのだ。仕事をしたことがある人なら誰でもわかると思うが、トラブルのほとんどは実は理不尽な客だったりしないだろうか。お客様を悪く言うなんてとんでもないという心掛けは立派だと思うが、必ずしも労働者が「私に問題があったのです。申し訳ありませんでした」と反省すればいいのかというと、決してそうではないと僕は思っている。

「お客様は神さまだ!」という意見に対しては、こう付け加えておく。「但し、貧乏神や疫病神などの邪神も含まれる」と。そういう場合は、倒せないまでも、全力かつ穏便にご退去いただくように促すのが懸命だと思う。できれば、彼らに自分の存在を忘れて貰えるように祈ろうではないか。脱線して恐縮だが、この手の邪神を好き放題させていると、組織内で責任の擦り付け合いが起こり、内部闘争に発展してしまう。組織だろうと個人だろうと、自分で改善できる点があったら、都度、改善していくしかない。歩み遅くても改善を続けていれば、きっと良質な存在に生まれ変われるはずだ。



 

  

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