ココロセラピストが考え直す『甘え』とは ~ 無痛は本当にベストな選択なのか~

甘え

甘えたがりな僕。

僕は、立場上、強気に立ち振る舞うことが多いです。時と場合によっては鬼や悪魔と同類と思われていることもあると思います。自分でも、そうだと思います。でも、本当は甘ったれた生き方をしたいです。というか、たぶん世間一般からしたら、甘ったれて生きている方だと思います。

ある意味、それも自己実現なのでしょう。というのも甘えさせてくれる人がいなければ甘えられませんからね。甘えられる相手がいるというのは良いですよね。両親が生きていたころは、たぶん、相当甘やかして貰いました。甘ったれ小僧でゴメンナサイ。同時に甘えさせてくれてありがとうと思っています。

甘えなければ得られない心の栄養もある。

当たり前な話ですが、甘えなければ得られない心の栄養ってあるんです。無償の愛情を注がれる時期って必須なんですよ。メンタルが安定するから。生まれた時から「所詮この世は弱肉強食……」なんていう育てられ方をしたら、人間不信になってしまうし、生きる喜びを失ってしまいそうです。なので、無条件の愛情を受けることで、無償の愛というものも存在するのだと体験的に学べるんですね。これを知っていると知らないって、人生の質が大きく変わってくると思います。

とはいっても、「我が子だから」とか「小さな子だから」という条件つきだったりは、するかもしれませんが、100%無条件じゃなくても大丈夫です。そもそも子孫を残すための本能がそうさせている割合だってゼロではないのですから。

ただ、幼少期に必ずしも無償の愛情を注がれるという保証もなく、愛情不足で育った人もいると思います。誤解しないで欲しいのは、そういう人の人生は終わっていると言いたいわけではないということです。人生のどこかのポイントで慈悲深い人に出会えれば、無償の愛情を注いでくれる人や、甘やかしてくれる人のありがたさを学べると思うし、自分自身も与えられる喜びを伝えられる人になれるかもしれません。

甘えは正義で、厳しさは悪なのか?

無償の愛という言葉を使いましたが、厳密には、それは甘やかすことだけではなく、厳しさも含まれると僕は思っています。本当に難しい問題ですし、正解もないのですが、僕はどちらも必要だと思っています。良くないのは極端な場合だと思っています。

たとえば、甘やかしすぎ。一見すると、仲良し関係に映ると思います。でも、甘やかされているだけの人が、「甘やかしてもらえるって素晴らしいな。私も甘えさせてあげられる側になりたいな」なんて思うでしょうか。まず思わないですよね。「甘やかされて当然」って思うと思います。そして、甘やかしてもらわなければ何もならない温室ミカンになってしまうと思います。

温室ミカンが必ずしも悪いわけではありません。でも温室がなければ育てないミカンばかりになっても、それはそれで問題なんですね。野性的な強さって必要ですからね。厳しすぎも問題なんです。厳しくされ過ぎたり、怒られ過ぎたりすると、今風にいうと自己肯定感が著しく低くなってしまいます。

ちょっと話は逸れますが、ブラック会社に勤務したことがある方は理解できると思うのですが、何をしても怒られるわけじゃないですか。「きっと自分に問題があるに違いない」って思いながら、努力するじゃないですか。毎回毎回そう思うじゃないですか。自分で自分を奮い立たせても次の瞬間には、あーでもない、こーでもないって怒られたり否定的なことをエンドレスで繰り返されるじゃないですか。でも、ブラック上司は、それをイジメとは思わず「君のために言っているんだよ」的な態度を取り続けるわけじゃないですか。

挙句の果てに適当な理由をつけて退職させてくれなかったりすると逃げ場を失うわけじゃないですか。「どんなに反省しても、どんなに努力しても怒られて否定され続ける日がエンドレスに続いて、退職さえ許してもらえないなら、もう自分なんて生きていない方がいいんじゃないか…」って思うじゃないですか。実際、僕は、そう思いましたよ。生きてますけど。なんとか逃げ切ってたら、その頃より、格段に収入も増えましたけど。

甘やかしすぎると、育たなくなる。厳しくし過ぎると、枯れ果てるんです。これじゃ、意味がないんです。甘やかす人は優しい人、ではありません。厳しい人は優しくない人、でもありません。ものすごく重要なので、頭に叩き込んでください。甘さや厳しさも極端すぎると優しさでも愛情でもありません。QOL(人生の質)を下げてしまう迷惑な存在になってしまいます。

勝手なイメージですが、極端な時代だなと思う。

これは僕の思い込みかもしれません。間違っているかもしれません。でも、間違いじゃなかったらとても怖いです。そんな話をします。やや誇張しますが、わかりやすい例を話しますね。現代では、子供は甘やかしすぎな感じがします。無痛推奨というか。たとえば、子供が転んだら、見守っていなかった先生の責任誰かと喧嘩したら、実際がどうであれ親からすれば悪いのは相手の子。相手、もしくはその親を屈服させて親子で上から目線で相手を見下す。学校に行きたくなければ、行かなくて良いという。我が子が傷つかず、不快な思いをしなければ万事OK。

僕に言わせると、これは甘やかしの虐待なんですね。暴力だけが虐待じゃないですからね。確かに大人は子供を安全に過ごせる配慮をすべきです。でも、なんでもかんでも大人が子供に起こり得るトラブルを未然に防ぐ必要があるのかというと、そうでもないんです。転んではじめて、転んだ痛さを知る。これって大事だと思うんです。そうすると転ばないためにどうしたらいいかを学べるんです。

ケンカはしないにこしたことはないです。でもケンカをすると痛い思いもするし、させてしまうこともあるんです。そうすると、それが無駄だと思えばケンカにならない方法を学ぶかもしれません。また、きちんと謝るということも学べるかもしれません。和解するということも学べるかもしれません。ただ、運が悪く当たりどころが悪いと大怪我をするかもしれません。途中で誰かが止めてくれなかったら、エスカレートして強いものがいつまでも弱いものをイジメる習慣につながってしまうかもしれません。この辺は運も大きく影響すると思います。なので、推奨はしません。同時に、絶対にケンカしてはいけないとも言いません。

何らかの事情で不登校になることもあると思います。それはそれでアリだとは思います。でも、何も勉強しなくていいわけではないし、まったく身体を動かさなくて良いわけでもありません。学校に行くことで心身に悪影響だと判断したのなら行かない方が良いかもしれませんが、その際は代案が必要なんです。じゃないと、大切な時期に何も学べなくなってしまいます。これから先の人生に通じる何かは考えてあげて欲しいです。イヤなことはぜんぶイヤで済まされるほど人生は甘くはないのですから。

次に大人の話をします。社会に出ると、先ほども言いましたがブラック会社の方が多いんですよ。最悪、心身が病んでしまったり、生きているのがイヤになったりする環境。程度の問題はありますが、そこで必要なスキルって偏差値や学歴だけじゃないですよ。駆け引きも必要だし、正論だけでは通用しないことも知らなければなりません。時には相手を蹴落とさなければ自分が生き残れない時だってあります。ある程度忍耐も必要かもしれません。必ずしも誰かが守ってくれるわけではないので、戦い方も、逃げ方も知らなければいけません。立ち直り方も知っている必要があります。信頼の勝ち取り方、仲間も増やし方、仲間の助け方、無から有を生み出す力……。甘やかされ過ぎると身につかないスキルの多くを求められるんですね。

そこまで過酷な状態ではなくても、ある程度、痛み目を見て打たれ強さを身につけておくと、耐性ができるというか、応用が利くようになるんですよ。免疫がある人は、そういう場面でも冷静でいられるので、対処法を考えられたりします。でも無痛人生だった人は、冷静ではいられないので、対処できなくなってしまうんです。

わざわざ痛い目に遭わせなくてもいいけれど……。

わざわざ痛い目をに合わせなくてもいいけれど、なんでもかんでも笑って許すのではなくて、悪いことや、間違ったことをしたら、きちんと叱ってあげることが重要だと思います。鼓膜が破けるほど怒鳴りつけたり、怪我するほど殴ったりしてはいけませんが、泣かせる程度だったら止むを得ないこともあると思います。理屈だけですべてが理解できるわけではないですから。人としてしてはならないことをした場合は、優しく諭すのではなく、二度と同じ過ちを繰り返したくなくなるほど怖がらせても良いかもしれません。

ただ、恐怖や痛みで相手の思考を矯正するということではないので注意が必要です。きちんと、何が間違っていたのか。どのように考えるのがベストなのか。今後どうすればいいのか。そこにつなげてください。そして、叱った後には、きちんとフォローしてあげてください。その段階で、立ち直れないほど追い詰めてしまったら意味がありませんからね。

「なまはげが怖い? じゃあ、なまはげの存在を社会から抹消しましょう」とか「獅子舞が怖い? じゃあ、可愛いライオンの着ぐるみに変更しましょう」とか、そういう考えはお勧めできません。苦手なら苦手で構わないですが、存在理由もあるので、一応説明くらいは伝えてあげてくださいね。「うちの子、繊細だから、あんな野蛮なものはちょっと……」とか言わないでくださいね。

道端で怖い顔の人がいたら、その人の存在を否定できますか。出来ませんよね。口調がキツイ上司を怖いからといって解雇できますか。できませんよね。生きていると、自分の想像を越える何かに必ず遭遇するんです。そんな中で、自分なりに折り合いをつけて生きていける強さを次世代に伝えてあげて欲しいなと思います。


 

  

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