ココロセラピストが考える!? 『わからなくはないけど問題アリな考え方』とは?~自分さえ良ければ万事OK~

生贄

僕は聖人ではない。
   

僕は聖人ではないです。だからこそ、わかることもあります。

人は時に、奇妙な考えに陥ることがあります。奇妙なアイディアが斬新なもので結果的に人類に貢献するものであれば良いけれど、実際は、そうじゃないものが多いです。

小者だからこそわかるけど「それ、ヤバいって……」と思う考え方について自席の念を込めて一緒に考えていこうと思います。

   

自分さえ良ければOK。
  

「自分さえ良ければOK」。

これ、多くの人が少なからず思ってしまうのではないでしょうか。僕自身も、気を抜くと、知らず知らずのうちに自分本位になって、他人の気持ちを考えていなかったということがたくさんあります。

世の中は弱肉強食っていうのは、わかるんですよ。他人を蹴落としてでも自分が這い上がらなければ生きていけないっていうのも、なんとなくわかります。時には必要悪もあるとは思います。

ただ、自分が優位な立場でいられれば他人がどうなっても構わないという思想は過激すぎます。僕もいつも過激発言をして周囲の人たちを冷や冷やさせているので偉そうなことは言えませんが、この思想を素で体現しているような人には、近づかない方が良いです。

別に綺麗事を言いたいわけじゃないんです。自分が生き延びるためには誰かを犠牲にしなければならないこともあると思います。それを責めるつもりは毛頭ありません。自己犠牲が必ずしも正解な生き方だとも思っていません。

でもね、自分本位過ぎると、どうなるかっていうと、巡り巡って、仲間がいなくなっちゃうんですね。これが問題で。

   

生贄を差し出せば俺は助かる。
  

極端な例を出すと、生贄ってあるじゃないですか。

定期的に生贄を差し出していたとしたら、どうでしょう。自分が生贄じゃなければ問題ないでしょうか。そういう問題じゃないですよね。自分が生き延びるために、他人を生贄にしまくっている人を、そもそも誰が助けてくれるのでしょう。というか、嫌われますよね。いずれ謀反が起きますよね、きっと。罪の意識さえ感じていなければ、悪即斬だと思います。自分が助かるために生贄を出し続けていても、その結果、恨みを買って新たな敵が増えると思うんですよ。そういう可能性もあることを覚悟しているなら、別ですが因果応報で自分が成敗されてしまったときに「なんで、こんなことに……」なんて言っても、自分が他人を大切にしてこなかった結果でしょ」って感じじゃないですか。「逆にあなたは誰かのために自分を犠牲にしようと思ったことはありますか?」って問い詰めたくなりますよね。

少しは悩んだ方が良いと思いませんか。

自分だけが生き残る方法にフォーカスするのではなく、みんなが生き残る方法にフォーカスした方が良くないでしょうか。もしくは、痛み分けという案だってありますよね。状況にもよるし、不可抗力もありますが、最初から何も考えず、自分さえ良ければ他人なんてどうなったって構わないって思うなら、それは間違ってると思うんですよ。自分を守ってくれる人、いなくなるから。

   

孤独になるような生き方はお勧めしない。
 

僕は孤独になるような生き方はお勧めしません。これも誤解を招きそうですが、友達を100人作りなさいとか、そういうことじゃないです。常に、何らかのグループに属して活動しなさいとも思っていません。でも、人はつながりを求める生き物です。間接的であっても。

なので、ひとりでいる時間が好きというのも、まったく問題なくてOKです。でも、深くかかわらないまでも、自分以外の存在を尊重してあげることは大切です。同じ人間として、大切に扱ってあげられる気持ちを持てたら良いなって思います。

自分以外の存在っていうのは、自分自身を盛り上げるためのモブキャラではありません。先ほども出したワードですが、自分を守るための生贄でもありません。

人生というドラマの主人公は、自分です。あなたです。でも、自分ではない人の人生の主人公は、その人自身なんです。バッドエンドを想定する必要なんてなく、誰かの引き立て役にならなければならないこともないんです。

「自分の人生だから自分が主人公だ。だから、自分がハッピーになるためには、他人を人間扱いする必要はない!」って、みんなが思っていたらどうなるでしょうか。かなりヤバくないですか。世界は一瞬で崩壊してしまいそうです。

   

自分も他人も大切に。
 

世界が円滑に回り続けるためには、みんなのQOLを高めることが大切です。自分だけ得をすれば誰かが損をしても良いとか、そういう発想は持たない方が良いです。

最近はあまり流行らないのかもしれませんが、以前は『Win-Win』という言葉が流行りましたよね。この言葉を思い出してくれたらなって思うんです。共に勝つ。いいですよね。

ちなみに僕は『Happy-Happy』という言葉を好んで使っています。勝ち負けというベクトルではなく、双方が幸せになる方法を探した方が、楽しい気がするから。必ずしも何かに勝ったから幸せとはなぎらないですからね。

言葉はさておき、お互いがお互いを思いやれれば、自分だけが特権階級になる必要性はないのかもしれません。そして、無駄に敵を作ることも減るのではないでしょうか。優しい気持ちで生きられたら、きっと僕たちの人生の質は著しく向上するはずですよ。

  

  

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