ココロセラピストが語る!? 『偽・自己肯定感低い症候群』とは?
~自分さえ良ければいい人たち~

自分さえ良ければいい

「私、繊細なんです」という嘘。

 

 「私、繊細なんです。ガラスのハートなんです。かよわい羊なんです。だから、私をもっと大切に扱ってください。甘やかしてください。褒めてください。無条件で……!」みたいな人っていますよね。

寂しそうにしていれば相手にしてくれるだろう。困った顔をしていれば、そっと手を差し伸べてもらえるだろう。黙っていれば相手から優しい言葉をかけてくれるだろう。泣いていれば失敗も許してくれるだろう。

うん。図々しいにも程がありますよね。……って幸運なことに僕の周囲にはそういう人はほぼいないので、あまり気にならないのですが、一定数は確実にいると思うんですね。

こういうタイプの人たちって、今風にいうなら『自己肯定感が低い人』という表現をするそうですね。最近の心理学系の人気ワードだと思います。自己肯定感。

僕は『自己肯定感』も好きな言葉ではありますが、一人歩きしすぎて、なんだか意味合いが変わってくると、ちょっと不安になったりもします。

皮肉な話ですが、本当に自己肯定感が低い人は、そんな図々しいこと、おこがましくて思いつきもしないと思うんです。

「いや、別に、私、そんなこと一言も言ってませんけど……」と即座に反論する人もいそうですが、そういう人って顔に書いてあるというか、そう取られても仕方がないような態度を取っていたりするものです。傲慢さを隠して弱弱しく見せたいのかもしれませんが、ちょっと失敗です。

「無条件でチヤホヤされないとキレたり凹んだりするって、何処が自己肯定感低いんですか!」と、ツッコミを入れたくなります。そんなに特別扱いされたいですか。そんなに楽して稼ぎたいですか。そんなに尽くされたいですか。

というわけで、『偽・自己肯定感低い症候群』の人には、くれぐれも利用されないように気をつけてください。

傲慢なほど、セルフイメージや自己肯定感が高くなければ、そんな態度取れないはずです。なので、冷たく聞こえるかもしれませんが、同情しなくて良いと思います。

切なそうなイケメンとか、美少女とかでも、関わると厄介です。トラップに引っかからないようにくれぐれも気をつけてください。

嗚呼、でも、どうなんだろう。自己肯定感を「ありのままの私を認めること」だとすると、「チヤホヤされるはずの私が特別扱いされないなんて、認められない!」って無意識的にでも本気で思っている人にとっては、「自己肯定感が低い」という表現でもOKなのかもしれません。そもそも、ありのままの私を客観的に、見られていないので、その時点で違う問題な気もします。

とりあえず、自己肯定感がどうとかいって、他人を操ろうとしたり、悲劇のヒロインを演じようとする前に、自分自身を見つめなおすことが大切です。

これは皮肉でも何でもなく、アイデンティティを見つめ直すことは、人生にとってはとても大切なことです。進学や就職する際にも必要だし、日常の心のモヤモヤをなんとかしたいときも、望む未来を思い描くときも必要なんです。

ちなみに僕は『自己肯定感』という言葉や、その言葉を使用している人たちを否定しているのではなくて、その言葉を隠れ蓑にして、他人を操ろうとしたり、自分さえ良ければいいと思っている人に気をつけて欲しいと言っているだけですからね。

本当に自己肯定感が低くてケアやサポートが必要な人も、おそらく数えきれないほどいると思います。みんながみんな意味なく甘ったれているわけではないし、本当に困っている人もいますから。

 

 

自分は大事。他人も大事。 

  

自己肯定感という言葉が一人歩きしています。でも「繊細な時代になったんだな……」って勘違いしないように気をつけてください。もしかしたら謙虚さが消えて「思い通りにならないとメンタルがやられた。自分は惨めだ……」と思い込んでいる人が増えただけかもしれません。

最近は、あまり使わなくなった言葉かもしれませんが、ぶっちゃけ『エナジー・ヴァンパイア』と同じだと思います。関わると、生命エナジー、吸い取られると思います。

「もっと、自分に優しくしていいんだよ……」「もっと、他人に頼ってもいいんだよ……」という言葉も、受け取り手によっては危険です。僕も、その言葉は正しいと思うし、いろいろな人に言っています。でも、言う相手は選んでいます。自分に厳しすぎる人や、頑張りすぎている人、キャパオーバーな人には、そのようにお伝えしています。

実は満たされまくっている人に、そんなことを言ったらつけあがるだけで『エナジー・ヴァンパイア』を量産してしまうことになります。そうなってくると、増やしてしまう側にも責任問題が問われます。

必要以上に傷つかなくていい世界。確かにそういう世界が望ましいです。誰にでも優しい世界。これも望ましいです。でも、それって他人ありきという考え方では実現しないんです。

『偽・自己肯定感低い症候群』の人は、なんだかんだ言いながら、自分本位で他人に優しくしようとは思わない気がします。なので、自分の欲求が満たされていれば、他人がどうなろうと気にならないんです。それって、『感謝の気持ち』という大切な気持ちが欠落しているので、誰もが思い描くような理想の世界からはもっとも遠い世界にベクトルが向かってしまっているんですね。

「日本人は謙虚過ぎる」とか言いますが、別に卑屈じゃなくて謙虚なだけなら、それは悪いことではないと思います。自己主張しても構いませんが、相手に対する配慮は少なからず必要なんです。

たとえば仕事でも「私、何もできないんです……」じゃなくて「何か私にお手伝いできることはありませんか?」と言ってくれたら、それだけで、気分がよくなるじゃないですか。少なくとも、やる気がないわけじゃないってわかるし。

「〇〇さんは、いつも自主的に掃除して偉いなあ……」って思って、ボーっとしてる人が給料もらってたら、敵が増えて当然でしょう。「ほら、やっぱり私は価値がない人間だから、敵が増えてしまったんだ……」ではないんですよ。自主的に掃除してる人が偉いなら真似すれば良いですよね。勝手に動いて問題だと思うなら「お掃除、私もやります! 得意ではないので教えてくれますか?」と聞けばいいんです。内心「掃除なんて、下っ端がやるものだよね……」と思っているから、自分から動こうと思わないわけですよね。

生きていくって大変なことだと思います。つらいことも悲しいこともたくさんあると思います。だから、自分が惨めに思えることもあると思います。だからこそ、少しでも『貢献』できることにフォーカスしてみてください。世界を平和にする方法とか、そんな難しいこと、考えなくていいです。トイレのスリッパをキレイに並べてみるとか、地味なことで充分です。そして、それを恩着せがましくしないことです。恩着せがましくすると一瞬にして、その貢献度が無駄になります。

そして、感謝されようと思わないことです。あくまでも自発的に行うことです。そして、誰かが、地味でも小さなことでも、誰かに対して何らかの貢献をしていたら、素早くそれに気づいて、褒めてあげることです。そうすると、お互いが良い気分になれます。

英語が喋れないから無能。計算が遅いから無能。PCが苦手だから無能。生きる価値がない。誰も、そんなこと言ってないし、思ってないですからね。

自分さえ良ければ誰がどうなったって言いと思っている人こそ、価値がないんです。自分を大切にしつつ、自分以外の人のしあわせも願ってあげられる人。地味でも小さなことでも、褒められなくても、良いことを実行できる人。それを継続できる人。これが、素晴らしい人ですよ。

わざわざ「私、自己肯定感が低いんです……」というレッテルを自分に貼らなくて大丈夫ですから。

  

  

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