ココロセラピストが語る!?『友達100人不要論』について?~友達100人、フォロアー10万人の謎~

友達

ともだち100人いなくて良い説。

 

『一年生になったら』という歌がありますよね。昭和の子なら、たぶん幼稚園で習っていたと思います。これ、平成頃から、徐々に歌われなくなってきたっぽいですね。

といっても、未就学児(orその親)の知り合いが少ないので真実は見えないですが、おそらく本当だと思います。

 

早い話が「別に友達を無理に100人作らなくても良くない?」という時代の流れだと思っています。僕も同感です。

 

でも、僕は決してこの歌を否定したいわけでもなければ発禁ソング扱いしたいわけでもありません。楽曲も良いし、歌詞も決して悪くはないです。あまり、悪く言うと、この楽曲の作詞作曲家が気の毒すぎます。

 

僕自身も、別に友達が必ずしも100人必要だとは思ってないし、きっと世間もそうなのでしょう。『友達100人不要論』は、たぶん今も増え続けていると思います。

 

ともだち10万人欲しい話。

 

一方で、不思議な現象が起きている気もしませんか。友達は100人いらないけれど、YOUTUBEのフォロアーは10万人欲しいって人、多くありませんか。

 

まあ、YOUTUBERにとってみれば、収益化できるので自分に興味関心を持ってくれる人が多いのかもしれません。アメブロもそうかな。

 

でも、じゃあ、必ずしもお金が関係しているから、自分に興味を持ってもらおうと躍起になる人が多いのかっていうと必ずしもそうでもないですよね。

 

最近、僕自身は、それほど多くのSNSをしなくなったので詳しいことはわからないですが、FACEBOOKとかも、友達の数を増やしたい人たくさんいるんじゃないでしょうか。Twitterも。

 

厳密には、その中の何割かは、ビジネス的側面で見込み客リストを作ろうと頑張っているのかもしれません。でも、そうじゃない人も多い気がするんですね。そういうのは、厳密には友達とは違いますよね。

 

そのうち『ユーチューバーになったら』という替え歌が出てくるかもしれません。「~フォロワー10万人 できるかな~♪」みたいな。既にあったりして。

 

僕は寂しがり屋だから思う。

 

統計を取ったわけでもないし、これはあくまでも僕の考えだけど。たぶん、寂しいんですよ。誰かにかまって欲しいんですよ。認めてもらいたいんですよ。褒めてもらいたいんですよ。全員がそうだとは言わないけど。承認欲求とか、そういうやつ。

 

「私は私」とか「他人なんか気にしていられない」とか言いつつも、誰かに構って欲しいんですよ。これはもう本能的なものだと思うから、仕方がないのかもしれないです。

特に僕自身が「友達は少なくていい」といいつつ、ものすごく寂しがり屋だから、同時進行で「誰かに構ってもらいたい(※良い意味で!)」という自己矛盾も自覚してるわけで。

きっと、そんな人たちが、人集めをしたくなるんだろうな。もちろん他の動機もあると思うけど。

 

脱線。就活の話。

 

よくわからないけど、最近は就活でSNSのフォロアー数を自己アピールに使う人もいるらしいじゃないですか。集客系の会社だったら、重要かもしれないけど。

 

仕事って割り切って考えるなら、フォロアーが10万人いても厳密には友達じゃないし。

たとえば好きなアニメが好きなフォロアーを10万人集めるのができたのは、そのアニメに対する情熱が伝わったからだと思うんですね。

じゃあ、就職先の営業で新商品の冷蔵庫を売るためにSNSを使って10万人集めることができるかっていうと、難易度が違うと思うんですよ。その好きなアニメに対する情熱と同じ熱量を新商品に注げれば別ですが。

逆にいうと、そこで結果を出せなければ、自己アピールは噓になるっていうか。

あるいは「君の自社冷蔵庫に対する情熱はその程度なのか。だって、本気を出せば10万人集められる実績があるんだろ?」って思わてしまうかもしれないし。

 

なので、10万人のフォロアーはすごいかもしれないけど、一定の条件下に過ぎなかったら面接官には良い印象は与えないかもしれません。

あるいは、好かれるために媚びてるだけかもしれないって思われる可能性も無きにしろあらずです。

 

脱線しましたが、面接を受けるときは面接官が何を求めているかを考えながらアピった方が良いと思います。

 

複雑な人間関係。

 

なんというか、無理してまで、自分の心にウソをついてまで八方美人を演じたり、良い人を演じたりする必要ないよね、って意味だと思うんですよ。『友達100人不要論』肯定派としては。

だって、結局のところ本当の自分をわかってくれる仲間が欲しいわけでしょう。

 

「最近、twitterのチェックできていませんでした。決して、あなたのことを避けていたわけじゃないんですよ。どうか、私を嫌わないでくださいね、ごめんなさい」なんて、媚び続けなくちゃSNSができないとか、息が苦しくなりますからね。

でも、そうでもしないと、フォロー外しされたり、自分という存在を忘れられてしまうのではないかっていう不安が強くなるんですよね。

わかります。

僕も長年インターネットの世界で生きてきて、そういう気持ちは数えきれないほど味わってきたから。

 

じゃあ、やっぱり、やや強引にでも人数集めをして、自分に興味を持ってくれる人を減らさないように努力し続けなければならないのか。

 

たとえばね、寂しいから「10万人でゴミ拾いしたら、街がキレイになると思わない?」と言ったとします。

本気でゴミ拾いをしたい人だったら別ですけど、仮に10万人集まったらゴミ拾いしますか。

たぶんしないと思うんですよ。「集団って大きな力を出せるよね」というアピールにはなるだろうけど。

たとえば、そんなふうに特定の目的やヴィジョンを見せて人を集めた場合、それ以外の話題を振ったら、話についてきてくれない人が一気に増えると思うんですよ。それもまた寂しいなと。

別の一面を見せて、そっちに徐々にシフトチェンジして言ったら、自分に興味を持ってくれていた層が変わってくると思うんですよ。

 

寂しいけど「あなたが、何処で何をしていても、私はあなたが大好きだし、何処までもついていくわ!」なんて、ないんですね。ストーカーは別として。

 

正直なところ、友達って何人いるのがベストなのかなんて僕は知りません。

とりあえず一人以上いればOKってことで良いと思います。

 

ちなみに、ここで言う友達っていうのは、本音が離せて、気楽に話せて、変な駆け引きがなくて、距離や時間に壁があっても、警戒したりせず、適度に心配しあえる。

自分が困ったときには助けてくれる可能性が高い。

あるいは、相手が困っていたら助けてあげたいと思える相手、です。

 

ただね、こういう親友的な友達が10万人って、成立するのかっていうと、それはちょっと難しいのかなって思います。

10万人も必ずしも意気投合して、さっきの条件が満たされる人間関係って、いるかもしれないけど、僕はであったことがありません。

 

なので、僕からの提案です。

友達が自然に増えてくるのは良いことだと思います。

自然に友達がじわじわ増えてくるのは大歓迎です。

それ以上に大切なのが不必要な敵を増やさないことです。

四面楚歌になると生きていて本当につらくなりますよ。お勧めしません。

自分がどんなに強くても、常に敵に囲まれていたらうんざりしますからね。

 

世の中には、絶対に出会ってはいけない人っているんです。

反面教師にはなるかもしれないけど、それを学んだ瞬間に縁を切るというか、距離を置いた方が良い人。悪い人じゃないけど、深く関わらなくてもいいかなって思える人。ビジネスライクの人。趣味だけ気の合う人。

 

関わる人を使い分けろってことじゃなくて。いろいろな人間関係のパターンがあると思うけど、すべてが自分の思い通りになると思わない方が良いです。

コントロールできるのは自分だけ。

他人をコントロールしようというのがそもそもの間違いです。

 

自分と違う意見でも、言わずに済むなら言わない。言っても、相手の人格は否定しない。マウントを取らない。自分の正当性を強調しすぎない。相手を見下さない。明らかに関わっていて疲れる相手なら適切な距離を取る。あからさまな態度は取らない。最低限のマナーは守る。

 

これを続けていると、少なくとも敵は増やさずに済むと思います。

同時に人との距離感を適切に取れる人って思ってもらえると思うので、結果的に信頼されるんじゃないかと思います。

 

自分に優しくしてくれた人には、思いっきり感謝する。優しくしてくれなくても、悪態つかれなければ、それなりに感謝する。無害な人も存在を認識して、ほどほどに感謝する。嫌いな人とは関係が悪化しないようにバランスを取る。もしくは、最悪、全力で逃げる。

 

最終的に人間関係が何人になるかはわかりませんが、数だけに執着するより生きやすくなると思います。

 

 

 

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