私と小鳥と鈴と。
「みんなちがって、みんないい」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。
金子みすゞという詩人の言葉です。以前、TVのCMでも使われていたと記憶しています。
この言葉が金子みすゞの詩だということを知っているかどうかは別として、とても大事なことですよね。
優劣で人間の価値が決まるわけじゃない。というか、人間に限定した話でもない。それぞれ固有の存在が愛おしい存在だということ。
有史以来、差別や偏見はずっと続いています。今も、以前と比べたらそういったものは減ってきたのかもしれません。でも、新しい価値観が生まれると知らず知らずに違った差別や偏見が増えてきている気もします。
だからこそ、毎日とまではいわなくても「みんなちがってみんないい」について深堀考察してみることが大切なんじゃないかなと思います。特に秋は、熟考するのに最適な季節だと思います。
あなたの長所が見つかりません。
「みんなちがって、みんないい」というと良い感じの気分になります。でも、ちょっと深く考えると、そう簡単でもないかもしれないってことに気づきます。
たとえば、大嫌いな人がいるとします。「それはね、相手の悪いところにばかりフォーカスしているからですよ。誰でもひとつくらい長所はあるものです。そっちにフォーカスしてあげれば、好きにはなれなくても、すごいなって思えてきたり、敬意が払えるようになるかもしれませんよ」なんて助言する人、いますよね。
本当でしょうか。実は僕、これが苦手です。何かしら褒めてあげようとしても、どうしても見つからない時ってありませんか。嫌っているから、良い面が見えないとかではなくて。
自分を追い込んで「きっと、この人には何かしら長所があるはずだ! 勝手に悪い評価してはいけないんだ!」と思ってまで、その人と関わりたいですかっていう問題も出てくるし。
嫌いな人で、良いところがまったく見つからない人がいたとしたら、それはそれで仕方がないことだと僕は思います。やや無理するなら「きっと、この人にも何かいいところがあるに違いない」と信じてあげることくらいです。信じてあげるからと言って、関わりたくなるかというと、それはまた別問題ですよね。
それに、相手の長所を見つけてあげられなかった『私』は、冷酷無慈悲かというと、そういうわけでもありません。洞察力が著しく劣っているか。これも違いますよね。
嫌いだけど、みんなちがってみんないい
ここで新説というか、新解釈です。「みんなちがってみんないい」を深堀考察しますね。この言葉が嫌いな人って、たぶんこんなふに思ってるんです。
「みんな仲良くしなきゃダメだよ」っていう価値観を押し付けられているのではないかと。確かに、そういうふうに解釈すると、ちょっと善意の押し売りみたいになってきますね。
でも、「みんなちがってみんないい、だから、なかよくしなさい」ではないんです。
「みんなちがってみんないい。私の事を嫌う人がいたっていいし、私が誰かを嫌ったっていいよね」という解釈だっていいですよね。
だって、「みんなちがう」んだから。当然です。
ただ、だからといって、わざわざ自分からケンカを売りに行く必要はないんです。相手の存在を否定するのはお勧めしません。金子さんが、ではなくて、僕の意見ですよ。
世の中って、厳しくも甘く、甘くも厳しく、なんですね。みんな自己都合で自己視点で物事を見ていますが、他者には他者の視点があるんですね。みんな自分勝手なんです。「正しいのは私」みたいな。そう思ってなきゃ、人生なんてやってられないですよ。わかります。
だけどね、だからといって、自分以外の気に入らない存在を片っ端から否定していると、世の中は成り立たないんです。もっというと生態系が崩れると思います。
たとえば、「私、虫きらい。存在否定しようー」っていって有言実行したら、土の質がどんどん悪くなります。花粉を飛ばせない植物はどんどん絶滅していきます。あれこれ連鎖して、最後には人間自身も追い詰められます。
だからといって、なんでもかんでも「赦してあげよう」で済むかというと、そうでもありません。
「赦さない」って思う人がいてもいいよね、ってことなんです。
無関心がいいのか
自分と他人が違うことはわかった。みんななかよしじゃなくてもいいってわかってきた。心が少し軽くなってきた気がする。でも、それって他人に無関心でいた方が、結果的に世界の秩序が保たれるってことだろうか、なんて思った人、いますか。
これもまた極論で。無関心の人がいても仕方ないというか、ダメではないんです。いいんです。だけど、みんながみんな無関心になったらどうなるでしょうか。優しさや思いやりのないディストピアになってしまうと思いませんか。
良いかどうかは別として、まずは自分の心に手を当てて、心の声を聞いてみてください。
「自分にできる範囲でなら、他人に優しくしたいし、環境にも気を使いたいな。関わってはいけないと本能レベルで感じる人からは、申し訳ないけど距離を置こう。あからさまに危険度120%だけど、理由があって距離を置けない人とは、最低限のダメージで済む程度の距離感は保とう。敢えて、敵意剥き出しみたいに立ち振る舞うと、巡り巡って深手を負うから自粛しておこう」
これは、僕が普段思っていることです。結果的にトラブルや対立関係で痛い目を見ることはありますが、そんなの運ですから。自分でコントロールできることは、自分で意識して、行動して改善すればいいし、そこまでやって、ダメなものは本当にダメなんです。でも、今ダメだから、いつまでもダメとも限らないんです。運なんです。委ねるしかありません。
たぶんみんな
これは予想なので違っているかもしれません。でも、たぶん、みんな、世界の平和は願っているし、仲間の心身の健康は願っていると思うんです。
そのためには、思いやりが必要で、優しい言葉を使い、そっと手を差し伸べられるようになるといいなって思ってると思うんです。世界は、残酷な面もありますが、一人一人の優しさが、その残酷さを弱めてくれているんだと思います。
誰かの存在を否定し続ける生き方って、つらいんです。身近な人でも、大事な人でも、とにかく、誰かを大切にする。そういう連鎖が巡り巡れば、結果的に幸せな人が増えるんじゃないかなって僕は思います。
ものすごく嫌いな人だっています。お互い様です。でも、それはそれ。巡り巡って幸せが循環しますように。
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