ココロセラピストが語る! 『変人』とは? ~あなたは変な人ですか?~

変人

僕は変わり者。

僕は自他ともに認める変人です。たぶん、一般的にいう『普通』とはかなり違うと思います。昔から「生活感ないよね?」とか「何を考えてるかわからない」と言われるので、たぶんかなり浮いているんだと思います。やっぱり変人なんでしょうね。

ならば普通になりたいか?

ならば普通になりたいか。普通の定義がわからないけれど。仮に普通と呼ばれる人になったらしあわせになれるのだろうか。たぶん、僕にとって重要なのはそこです。

しあわせになれるなら、しあわせになれる手段を取った方が良いと思います。ただ、普通になることがしあわせかって聞かれたらどうでしょう。その辺は僕は正直わからないです。

なので、「普通ってかなり良いですよ!」という方は、僕にこっそりメッセージをください。とても気になります。自分が知らない世界を知るってドキドキしますよね。

 

そもそも私は普通なのか?

たとえば、人を変わり者呼ばわれする人って少なからずいるわけじゃないですか。僕も「あの人、変わってるなー……」なんて思うことはあるので気持ちはよくわかります。

でも、そこで疑問が生じませんか。そういう発言って、自分は至って普通であり、相手がズレているのだという前提条件が自然発生しているんですよね。

全員とは言いませんが、人って少なからず自分だけは正しいと何処かで思っている生き物なんでしょうね。

自分が正しいのが前提だから気に入らない点があれば『変』というレッテルを貼る。自己都合で、なんか知らず知らずに、そういう言動を繰り返している人、いそうですよね。これを読んでドキッとした人いませんか。

よくよく考えると「そうだよな。必ずしも自分が普通だったり、一般的だったり、常識的だとは限らないよな……」って思えてきませんか。

 

みんなが言うことが普通になるのか?

僕たちはついつい多数派が正しいと思ってしまいがちです。多数派意見が、一般的意見であり、普通なんだと勝手に思い込んでしまっている節がありませんか。

そんなことをいうから僕が変人なのだと言われればそれまでなのですが、別に「斜め上から見ている、イケてる俺」なんて思ってないですからね。

僕は、こうして物書きとして自分の意見をたくさん伝えてきました。でも、いつも言っていますが、僕の言うことを必ずしも真に受けなくていいし、必要以上にアンチになる必要もないんです。

僕の話に限らず、「みんなが言うから……」とか「著名人が言うから……」とか「権威のある人がいうから……」という先入観に流されないで欲しいんですね。その普通っぽいもっともらしい意見、実は間違っている可能性だってあるということなんですね。

決して人間なんて信じなくていいと言っているわけではありません。その普通っぽい何かは、本当に普通のことなのかを考える時間を数分でも数秒でも考えてもらいたいんです。他人と同質化することが『普通』への道ではないです。そして、自分なりの考え、気持ち、結論を大事にして欲しいんです。もしも、大多数と解釈が違っても。

自分の意見を大事にして「君は変人だな……」と悪い意味で言ってくる人はそうはいないと思います。もちろん、自分の考えや気持ちに固執して冷静さを失ったらダメですけどね。変人かどうかより、その考えそのものが間違えている可能性もあるし。

 

個性的って皮肉なのか?

よくトラブルメーカーの事を隠語というかなんというか「個性的だよね……」なんていう表現をしますよね。棘のない言い方をしていますが、逆にいうと『個性=変(悪い意味?)』と思いませんか。

確かに、個性というのは、他人とは違う自分固有の、というニュアンスだと思うので「変わっている」という意味です。でも、必ずしも悪い意味ではないですよね、個性って。

もし悪い意味での変人と同義なら「個性を大事にしよう」なんて言いませんよね。人と違う点も受け入れよう的な時代じゃないですか、今って。

 

変人ってさ。

変人。変わり者って、ややレアな感じがするだけで、必ずしもトラブルメーカーではないと思うんですよ。同時に普通っぽい迷惑な人だって実際はたくさんいるわけで。

結果論として、人って誰しもが大なり小なり誰かに迷惑をかけていると思うんです。普通かどうかは別として。

個性が強すぎる人や、変わった思考パターンの人も世の中にはたくさんいると思います。ただ、普通だろうと、変人だろうと、それと悪人は同義じゃないってこと。迷惑かどうかも同義じゃないんです。

そういえば迷惑な人のわかりやすい呼称ってあまり聞いたことがないですが、どなたかご存じですか。

 

僕は変人。

僕は、MARVELやDCが大好きなオタク気質なおじさんです。それが世間から見て変だろうと何だろうと、誰かを傷つけたり陥れたりしていなければ良いじゃないかと思うわけです。

それは有名だから普通に括られるかもしれないですが、誰も知らないようなマニアックな何かにこだわりを持っていたり、生活リズムが特殊だったりしても、やっぱり誰かを傷つけたり陥れたりしていなければ良いじゃないかと思うわけです。

自分も自分以外の人も、ケガをしたり、病気になったりせず、衣食住があり、困ったときに助けてくれる仲間がいる。あるいは助けたいと思える仲間がいる。自分のしあわせ、他人のしあわせを素直に喜べる。時にはズレてしまっても、気づきがあれば、そこから何かを学べる。

僕はそんなことを思いながら、自分自身に折り合いをつけつつ、ある程度自由にさせていただいて、暮らしていける変人でありたいです。

押し付けたいわけじゃないけど、これを読んでいるあなたにも少しだけ共感して欲しくて。そこさえ押さえておけば、きっとしあわせになれると思うんです。

「自分らしいステキな生き方だね」ってお互いに言い合えたら、普通っぽい何かとは若干かけ離れていても何も問題がないと思う今日この頃です。

 

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