ココロセラピストが語る『感情あれこれ』とは? ~たぶんそれが生きている証~

感情

たぶん僕は……。

僕はなんでもかんでも病名をつけるのは好きではないです。「こういう人いるよね」というタイプを分類するために便宜上名前をつけることはあるけれど、それは病名ではありません。障害の名前でもありません。

それはそうと、あまり深く考えないようにしてきましたが、僕はおそらく受診したら何らかの診断名が下されると思います。もっとも、僕に限らず、誰でも何かしらに該当するようにできている気もしますが。医学否定してるわけじゃなくて。

僕は感情の起伏がものすごく激しいです。悲しいときはずっと凹んでいます。世の中のすべてを否定したくなります。自分の存在そのものが罪とさえ思ったりもします。
……って、この時点でヤバイですよね。

しかもそれだけじゃなく、時には自分の事を棚に上げてものすごく自意識過剰になることもあります。えっと、ちなみに僕を診断してくれって話でもなければ病名の話でもないです。

 

しかしながら生きている。

大なり小なり似たように感じてくれた方はいると思います。でも、考えてみると、それでも人は生きているってことなんですよ。

じゃあ自分じゃない人はみんな品行方正なのか。聖人なのか。違いますよね。腹の立つ人だって、たくさんいますよね。あわよくば、バナナの皮ですべって転んでしまえと思えるような相手。

じゃあ、その人が極悪非道化というとそうでもない。その人はその人で自分なりの自分軸を持って生きているわけです。

結局のところ、人って完璧じゃないし、未熟なんです。才能や能力の差は大きいかもしれませんが、パーフェクト・ヒューマンなんて存在しないんです。

憎まれっ子、世にはばかる。そこを突き詰めると、憎まれっ子で世界が覆われてしまったら、人類って滅亡しますよね。でも、滅亡しないんです。

逆に、良い人だったり、能力が高い人が健康だったり、長生きだったりするかというと、決してそうでもないんですよね。

つまり僕たちって、そういうよくわからない世界に生きているんです。そんなものなのです。と、考えると、仮に生きるのがつらくなった人がいても、少しは気が楽になったりしませんか。

 

生き方って難しいよね。

今自分が生きているって、すごいことなんです。自分を無価値と思おうが、性格が悪いと思おうが、なんだかんだで生きている。毎日誰かに命を与えて貰ってるんですね。必ずしも、その誰かっていうのは人間に限定したことではなくて。

人って仮面を被って生きてるじゃないですか。ペルソナってやつ。大人になればなるほど、この仮面が増えていくというか、仮面が分厚くなっていくというか。

特に仕事してる人ってそうじゃないですか。プロ意識を持つのは良いことだけど「これについては俺に任せてくれ!」的な顔をして立ち振る舞わなきゃならないことも多いし。もちろん仕事って責任もあるし、誠意や努力も大事だと思うので日々精進ですが、やっぱり完璧ってないわけで。

仕事人の仮面もまた自分の一部。でも、その仮面だけで生きていくのもまた無理な話で。やっぱり人間って感情があるから。湧き上がってくる各々の感情を何らかの形で処理しなければならない。

たとえば僕は持病の腰痛があるんですね。だから、調子が悪いと立っているだけでも辛かったり、歩くのも一苦労だったろする日もあるんですね。でも、仕事でずっと座っていられるわけではない。でも、お客さんだけでなく、仕事仲間の前でもあからさまに辛そうな顔をするわけにはいかないんですよね。痛みがあると、意識がそっち、つまり耐える方に言ってしまうので、細かい気配りや配慮ができなくなるんですよね。難しいことも考えられなくなるし、マルチタスクもテキパキとはこなせない。そういうときって連動して感情も動くので、悲しくなったり、辛くなったり、イライラしたり。

なので、僕だけじゃなくて、何かに耐えて何らかの仮面を被り続けなければならない人って、きっとたくさんいるんだろうなって思うんです。

怪我や病気じゃなくても、仕事量が多すぎて睡眠時間が削られる毎日とか。明らかに健康を害するであろう時期ってあると思うんですよ。仕事量を自分の意思でコントロールできる人はいいけれど。

 

魔がさすとき。

魔がさすときってあるじゃないですか。この言葉を聞くとなんとなく犯罪めいた感じがすると思いますが、そういうことでもなくて。なんとなく。つい。いつもの自分ならやらないようなことをしてしまうときっていうか。

『魔』という漢字がついていることからも想像がつきますが、ちょっと怖いですよね。ストレスがたまりまくっている時などは、やっぱり魔が差しやすいんじゃないかと思うんですよ。自分の感情が暴走して、それを止めることができない状態。危険度高いですよね。

 

感情。

感情があるから人生は楽しい。それは事実だと思うんです。悲しさや辛さがわかるからこそ、嬉しさや楽しさが一層わかる。ずっと辛いとも限らないし、ずっと楽しいとも限らない。だからこそ、僕たちは常に感情の舵取りをしつづけているんです。人生って航海にたとえられるけど、感情も一緒ですよね。

 

ふとしたきっかけで。

ちょっとネガティヴな話になってしまいました。実際、腰も痛いし、どうも疲れが抜けないし。自暴自棄になるつもりはないけれど、ちょっと楽観的な気持ちにはなれないな、なんて思っていた今日この頃。ある時、ふと小さな風が吹き、桜の花びらがひらひらと降ってきたんです。

だから何って思うかもしれませんが、少なくとも僕の中では感情が動いたんです。マスクの下に隠れたいつも下がった僕の口角は、きっとその時はわずかに上がっていたと思います。だからって、パワー全開になるわけじゃないけれど、気分は大きく変わったんです。

人って、そんな些細な一瞬の出来事でも、感情が動くんだな。そして、それって、なんかステキだなって思ったのでした。

 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713

 

#TATSUMI #ココロサロンIRODORI #ココロセラピスト #感情 #仮面