ココロセラピストが語る!『自由をはき違える大人たち』とは? ~だから子供たちも勘違いしてしまうんだ~

自由

自由の女神は何を願うのか?

自由の女神ってありますよね。彼女はいったい何を願っているのでしょう。ふと、そんな疑問が頭に浮かびました。まぁ、ここは日本なので自由の女神にそれほど縁はないんですけどね。

自由の女神と言えばフリーメイソンが裏で……といったような陰謀論を思い浮かべるかもしれませんね。自由の国アメリカ。謎です。自由の国と言いつつ、特にビジネスでは細かいルールで縛られている印象が少なからず僕にはあるのですが、どうなんでしょうね。

別にアメリカをディスっているわけではないです。僕はスパイダーマンが子供の頃から大好きだし、ハンバーガーも大好物です。英語がペラペラ喋れたらかっこいいだろうなって今でも思っています。

国の良し悪しの話ではなくて、『自由』ってよく使われる言葉ですが、そんなに簡単なものじゃないよな……なんて思った次第です。

 

放任主義という名の無責任

毒親あるあるのひとつ。放任主義という名の無責任。「うちは、放任主義なんで、子供たちを自由にさせてるんですよ」という親っていますよね。

とても良いことだと思うんですが、そのご家庭での自由の定義をきちんと家族会議で共通認識、共通理解にしてからの方が良いと思います。

自由の解釈ってたくさんあるので、それがまたトラブルの元凶になってしまうことも多いんですね。「言いたいことを言って何が悪い?」って言う人いますけど、相手の立場や気持ちを考えてない人って単純に嫌われますよね。それを「嫌われる勇気」とか言っていたら、たぶんアドラーは悲しむんじゃないかと僕は思います。アドラーは、おそらく「相手の気持ちなんて無視しなさい」とは言ってないと思うんです。

また、社会的な最低限のマナーは教えた方が良いと思うんですね。放任過ぎて無教養になってしまっても困りますからね。

今や国際社会の中で生きていかなければならない時代です。インターネットが発達したのでなおさらです。育った環境や時代によっても価値観は違いますし、色々な価値観とぶつかりあって、僕たちは生きているんですよね。なので、自分ルールがすべてだと思い込まず、色々な人と交流して生きていく中でのマナーは必要だと思うんです。

たとえば言葉遣いをまったく教えないで大人になったら、たぶん就職できません。美しい日本語で話をしなさいとは思わないですが、あからさまに野蛮な言葉を使っていたら注意してあげた方が良いんです。

ある程度は自由にっせても、教えることはしっかり教えてあげる。これが大事です。歩きタバコをして罰金取られている息子、とか想像しただけでイヤじゃないですか。トイレの使い方がわからず、いつも便座周辺を濡らしている子とか。教えてあげなきゃ。自由にさせてるって言い逃れしないで。

ちなみに、「私は放任主義」といいつつ「社会的知性を教えるのは学校や学童保育の責任」とか責任転嫁する人は、何か大きな間違いをしていると思うので考え直してくださいね。

 

叱れない大人

最近、「私、叱るの苦手なんです」という大人に出会う率が増えてきました。ちなみに叱るといっても、必ずしも頭ごなしに怒鳴りつけるとか、そういうことではないです。ちょっとそた注意も含めてです。

褒めるのは大事なんですが叱れないって大問題なんですね。間違いを指摘したら相手が傷つくかもしれないという優しさなのかもしれませんが、それは本当の優しさではありません。それなら言い方やタイミングを工夫すれば良いだけで、問題そのものを見て見ぬフリをすることとは違うんですね。

そして叱れない人の大半が嫌われたくない人なんですね。僕も嫌われたくありませんよ。でも、嫌われたくないからって相手に合わせすぎて、なんでもかんでも相手の言い分を肯定して受け入れていたら、たぶん辛いのは自分ですよ。

二度と関わりたくなくて、近づかないで生きていける人に対しては間違いを注意してあげたり、叱ってあげたりする必要はありません。でも、身近な人間が全員品行方正なはずはありません。自分だって、何か大きな間違いをしていたら指摘して欲しいじゃないですか。誰にも何も言ってもらえなくて後で大恥をかくよりずっと良いですよね。

子供に叱れない親、生徒に叱れない教師、部下に叱れない上司などなど。叱れない人はたくさんいると思いますが、もしも相手の成長を望んだり、相手の大きな失敗が起こる前に何かを学んで欲しい人は心を鬼にしてでも叱ってあげることが必要な場合もあります。

「私、ある程度の(他者)の自由は認めてあげる派なんです……」なんて言い訳しないでくださいね。

パッと見それは自由に見えるかもしれません。でも、他者を放任しすぎて、自分が不自由になってしまったら、やっぱりそれって自由に対する認識を改めた方が良いと思うんですよ。

また叱ることのできない人を「心が広いから、なんでも許してくれる人」と勘違いしないようにしてくださいね。心が広いのではなく、心が狭いから、相手の事よりも自分が嫌われないことのためだけに力を注いでいる人かもしれません。

 

自由を履き違えないで

何でも許すのが自由ではありません。なんでも受け入れるのが自由ではありません。我関せずが自由でもありません。自由には責任が伴うんです。そして、その責任はとても重いんです。

無責任を自由とするなら、そんな安っぽい自由の先には惨めな将来しかありませんからね。そして、制約や制限が必ずしも悪とも限らないんです。横断歩道という制約、ありがたいでしょ。だからこそ、道路を自由に使えているんでしょ。

自由を履き違えて、それを次世代に伝えてしまうと、無責任な人を増産してしまうんです。本当に自由を尊重したいなら、もっと自由とは何かを本気で語り合う時も、もしかしたら必要なのかもしれません。

 

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