ココロセラピストが語る!? ココロの行き場を失った人たち ~コロナ渦のメンタルヘルス~

メンタルヘルス

嬉しくない過去最多

令和2年度の自殺した子供たち(児童や生徒)の人数は過去最多になってしまったようです。
児童や生徒は400人超を越えました。ちなみに、小中学生の不登校も19万人以上とのことです。
やはり、とても悲しいことです。

 

コロナ渦の影響?

コロナ、という言葉が流行りだしてから本当に僕たちの生活を取り巻く環境が大きく変化しました。
コロナそのものも厄介ですが、コロナに感染してどうこうという問題よりも、二次的三次的な問題の悪影響の方が大きい気がします。
身体的健康もそうなのですが、特に僕たちのメンタルは本当に振り回されっぱなしだと思います。

子供たちが過去最多、という話ではありますが、これは子供立ちだけの問題ではありません。
『新しい生活様式』とか『withコロナ』とか言っていますが、正直僕は、それがなんなのか、未だにわかっていません。
もちろん、それはスローガンであり、「みんなで、考えて、行動して、乗り切ろうね!」という意味だとは思います。
ただ、何処を目指して進めば良いのかわからず、僕たちは迷走してしまっているので、しっくりこないのだと思います。
大人たちが迷走していたら、子供たちが安心して生活できるはずもありません。

 

間違ったメンタルヘルス?

正しい心の在り方って何だろうって誰しもが一度は考えたことがあると思います。僕も毎日のように考えています。
ほぼ全ての人が何らかの手段で人類の(?)QOLを高める方法を模索しながら生きていると思います。

そこで、僕が個人的に思っているポイントをお話ししたいと思います。
これは特定の誰かを叩きたいという意図ではなく、あくまでも意見の一つとして参考にしてください。

昨今、心理学ブームが後を絶ちません。
かっこいいイメージがあるのだと思います。僕も心理学は大好きですし、実際、楽しいと思います。

ただ、1つの説を妄信しすぎるのも問題だよな、と思うことがあります。
具体的にいうと「人の話をしっかり聴こう(傾聴)」です。
僕は『傾聴信仰』と呼んでいます。

人の話をしっかり聞くのは、超重要事項です。
それは問題ではないんです。
コミュニケーションの基本は会話です。
話を聴くことは基本中の基本です。

ただ、「聴けばすべてが解決するわけではない!」という事実も受け止める必要があると僕は感じています。

確かに「答えは自分の心の中にある!」という考え方は正しいと思います。
僕も傾聴は大事だと思いますし、自分自身の心の問題の答え自分の心の中にあると思います。
でも、それはあくまでも心の話であって、具体的な何かに直結するかどうかは別問題だと思っています。

たとえばコロナ渦で、家の外からあまり出ない方が良いのかどうか問題。
これも、未だに正解はありません。緊急事態宣言が発令されたり解除されたりで、近い将来また発令するんじゃないかとか、不安は尽きません。

メンタルヘルス

本当に外出して良いのか。それとも自宅にいた方が良いのか。去年は特にそんなことを悩んでいた人が多いと思うんですね。
大人はある種の決定権を持っています。
でも、子供たちは決定権なんてあってないようなもの(極端な表現で申し訳ありません)です。
休校になってなければ学校に行った方が良いのか。行かない方が良いのか。
そんなの子供たちにわかるとは思えません。親が行けと行ったらいかなければならないし、行くなと言ったら行けないんですね。

ステイホームにしてもそうですよね。
「とりあえず、家にいようか……」と思っても、家でどのように過ごせば良いのかわからないですよね。親はコロナなんて関係なく仕事で不在かもしれません。親もコロナの影響で仕事がなくなり家にいるかもしれませんが、イライラしているかもしれません。

家にいるとして、ゴロゴロしていれば良いかというと、そういうわけではありません。
子供で言えば勉強をどうするかという問題もあります。遊びも制限されるのでストレス発散方法も難しくなってきます。
友達とも会えないのです。親は親で暇なわけではないので、ずっと子供の相手をしていることもできません。

家族間でみんなの余裕がなくなってくると傾聴なんてそもそも言っていられません。
子供の心身の健康は親の責任かもしれませんが、親の心身の健康って誰が守ってくれるんでしょう。誰が話をじっくり聴いてくれるのでしょう。

傾聴が大事なのはわかるけど、傾聴する余裕がない人たちが閉鎖的環境にいたらどうなるか、という話はそんなに巷では聞かないような気がします。
現に僕も「相手を思いやりましょう」としか言えていないです。

次に、コロナ渦という特殊な状況下で、世間がどうやって生きていけばいいのかわからなくなっているので、みんながそれぞれの道を模索するのはわかるんです。

仮に傾聴してくれる人がいても『具体的な知識やアイディア』を提供してくれる人もある程度必要なんですね。
その知識やアイディアを受け入れるかどうかは本人の気持ち次第だと思いますが。

今の時代って『個の時代』だと思うんですね。個人の尊重、個性の尊重。それはもちろん大事なんです。
でも、同時に『リーダー』も必要なんです。
人間は社会性の動物です。なので、誰かと関わらないと生きていけないんですね。そして、人は人とかかわることで成長するのもまた事実なんです。

たとえばクラスで暴れる子がひとりいたとします。
今の時代って「叱ってはダメ。時代遅れ。相手の気持ちに寄り添って傾聴してあげましょう。感情のコントロールができていない時に話をしても無理だから、好きにさせておきましょう」みたいな風潮が強くなっているように感じます。

明らかに間違ったことをしていても、その子の話を聴いてあげられる状況ができるまで、ひたすら暴れさせておいていいと本気で思うのか僕には疑問です。その子、もしくは、周囲の子がケガをする恐れだってありますよね。力づくで押さえつけなければならない時だってあるんです。

捕まえてはいけない。大きな声を出してはいけない。叱ってはいけない。落ち着くまで待って、相手の気持ちに寄り添い、そのうえで、やって良いことと悪いことを説明する。
罰することが目的ではなく……と語る人がいますが、それは、そういう余裕がある時限定です。
カウンセリング・ルームなら、それは可能かもしれません。しかし集団の中にいたら、誰かが責任を取って個別対応するなんてできないんですね。

程度の問題はありますが、本当に暴れまわって手に負えなくて周囲に危険が及びそうで、大人も対応できなそうな状況だったら、警察を呼びますよね。
じゃあ、警察は傾聴を最優先にするかっていうと、たぶん、違いますよね。捕まえますよね、暴れている子を。じゃあ、警察が間違っているかっていうと、そうじゃない。大事なのは、その後のフォローですよね。

メンタルヘルスを勘違いしている大人が増えると、個を尊重することに意識が向きすぎて、ダメなものをダメと言えず、究極何をしても許さざるを得なくなってしまうんですね。

集団で生きていく上には仕組みが必要なんです。対個人向けのメンタルヘルス論を対集団に強引に当てはめても通用しないことがあるということを僕たちは理解しなければならないのです。

 

考え方

メンタルヘルス

今はコロナに振り回されています。個の尊重も大事です。傾聴も大事です。共感的理解需要も大事です。

でも、なんだかんだで大なり小なり集団に属して生きていかなければならない僕たちは、個も大事ですが、集団で共存する仕組みに意識を向ける必要ってあると思うんですね。

ルールをつくって雁字搦めにしろって事ではありません。
特に、これからは、本当にどんな時代が来るのかわかりません。

個を思いやる優しい気持ちも大事なのでキープしてもらいたいです。
同時に、知識、情報、考え方を提示してくれる人や、方向性を示してくれる人、つまり、リーダー的存在を増やしていくことも大切だと思います。

みんな平等で、仲良く。
これは理想ですが、時には誰かが先頭に立って走らなければならない時もあります。

リーダーがいて、同時に、個に意識を向けて傾聴してくれるポジションの人もいる。そういう集団作りが、これからは必要なのかな、なんて思ったのでした。

 

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