ココロセラピストが語る!? 懲りずに正義の味方に付いて考えてみた! ~正義と悪という概念に執着した生きづらさからの解放~

正義と悪

スーパーヒーロー……?

僕は言わずと知れたスーパーヒーロー大好き人間です。勧善懲悪ものも好きだし、ややこしいのも大好物。
ここ10年くらいは、どっぷりMCUに浸かっています。もちろん、DCも大好きです。

えっと、知らない人のために簡単に言うと、アメコミ(映画)の世界にハマっているということです。

 

ヒーロー像とごっこ遊び……?

小さな子供っていうのは、僕もそうなんですけど、単純に圧倒的なパワーに憧れるんですよ。
たぶん、それって本能的なものなのでしょう。

そういう視点だけでヒーローものを見ていると、「強い=正義」と勘違いしてしまいそうになってしまうんですね。
これ、ヤバいんですよ。

たとえば、日本でいうところの『〇〇レンジャー』とかをイメージしてください。
子供って、ごっこ遊びが大好きじゃないですか。
だから当然、〇〇レンジャーごっこもすると思うんですね。別に仮面ライダーでもウルトラマンでも良いですけど。

かくいう僕も、幼稚園の頃、何ごっこだったか忘れたけど、粘土で何かを作って遊んでいたんですよ。
たぶん、ガンダムかなにかだったかな。ごっこ遊びというより、お人形遊びに近いのかな。遊んでくれていたクラスメイトの名前も、完全に忘れてしまったんですが、とにかく、僕はヒーロー役をやり続けたんですよ。
要するに勝つ側。相手は、ずっと敵なんです。負ける側。

「TATSUMIくん、さっきから自分ばっかり良い役で、ずるくない?」と、言われたんですよ。たぶん。子供のころの記憶って曖昧だけど。当時は、その意味がわからなかったんですね。
相手の気持ちも考えられなかったから、自分が勝者であり正義であれば、後のことはどうでもよかったんだと思います。

これって、酷い話ですよね。そんなの正義でも何でもない。自分が正義であり続けるために、相手を悪と決めつけてしまっていたんですよ。
知力が低かったのか、サイコ野郎だったのか、とにかく黒歴史です。
悪は僕なんです。倒されるべきは僕だったんですね。

何の根拠があるのか、自分を正義と信じて疑わない人って、相当ヤバいです。

正義と悪

 

正義に対する価値観……?

もちろん、年齢を重ねていくうちに、正義ってなんだろうとか、悪ってなんだろうとか、だんだん意識するようになってきたんですね。僕以外の人も、似たようなプロセスを辿ってきたかもしれませんね。

さっきガンダムってワードがでたけど、あれも、必ずしもガンダム(連邦軍)が正義ってわけでもないんですよね。世の中って勧善懲悪だけで成り立っているわけじゃないんですよね。

MCUにたとえるなら『シヴィル・ウォー』という作品があるんですが、これ、仲間同士が戦うんですよ。
アイアンマンとキャプテンアメリカが対立して。どっちも正義の味方なんですが、考え方が異なるんですね。
そうするとぶつかっちゃので、ドンパチがはじまるんですよ。正義の味方が、そんなことするなよって感じですが、そうなっちゃうんですよ。

 

自称正義は危険な香り……?

リアルな話をすると、クレーマーっているじゃないですか。
クレーマーって、自分は正義の側なんですよね。少なくとも本人はそう信じて疑わないんです。
だから、ものすごく強気で責めてくるんですよ。

でも、客観的に考えると、誰もクレーマーをかっこいい正義の味方だとは思わないですよね。
でも、独自の理論を展開し、相手の気持ちを考えることなく、ひたすら責めてくるんですね。
「正義は勝つ!」と言わんばかりに。そうなんです。

勝たなければ気が済まないんですよ。
相手を屈服させ自分が勝者であると相手に認めさせるまでは、その手を緩めることをしないんですね。

これ、小さな子供も大人も同じことが言えるんですが、ものすごく怖いです。
自分を正義だと思い込むと、何をしても許されると思い込んでしまうんですね。

「〇〇する方が悪い!」の一点張りなんですね。情け容赦がないんですね。自分を正義と思っている割に。
そして関係ない人たちまで巻き込んで、小さなトラブルが大問題になってしまうんですね。

そうなると、もう法律とか関係ないんですよ。正当防衛の域を超えると過剰防衛になるんですが、そんなこと知ったことじゃないんです。
実際に、そういう人が周囲にいたら、絶対に関わらないでくださいね。
正義の本質も考えたこともないような人が、感情むき出しで噛みついてきますから。

 

正義か悪かというベクトルではない視点を……?

正義とは何か、悪とは何かという問題も大事なんですけど、僕は『最善を目指す人』であることをお勧めします。
たとえば、相手が結果的に間違ったことをして、いわゆる悪だっとします。
でも、近寄っちゃいけない相手にわざわざ近づいたらどうなるかって大事なんですよ。

相手を叩きのめさない限り、下手すれば終わりなき戦いに発展するリスクもあるんですよ。
状況にもよりますが、自分が一歩引くことで、無駄なリスクを避けられる可能性もあるんですね。

相手を叩きのめすことを目的とするよりも、最善の状態を作り出すことに意識を向けた方が良いと思うんですね。
「それって、結局、力のあるものが正義で、力がないなら逃げろってことですか?」って思うかもしれませんが、僕が言いたいのは、そういうことじゃありません。戦い方にもいろいろあるってことです。

相手が冷静になるまで待つ、とか。
あるいは、仲間に危険が及ばないように、仲間を避難させてから戦うとか。
相手に、過ちに気づかせて、同じ過ちを繰り返さずに済むような方法を考えてみるとか。

報復だけを目的として、それを正義とするなら、そんなものは正義じゃないし。
それに、本当は自分こそが悪かもしれないけど、差し迫った状況で正義の相手を倒さなければならない時だってあるかもしれないんです。
必要悪ってヤツですよね。

「私は正義だ。相手は敵だ。私は正しい。相手は間違っている。だから、私は相手に何をしても許されるし、相手に反論の余地などない」という過激な考え方だけは持たないようにしてください。

こういうことを、何らかのきっかけで考えないと、気が付いたときには時すでに遅し。
自称正義の味方が、自分の気分をスッキリさせることを目的に、空気も読めず、ひたすら相手を責めるだけの迷惑さんに成り下がってしまう危険性があるんですよ。

正義と悪

人生って、勝か負けるだけじゃないんです。
勝てば正義ってわけでもないんです。

相手が悪なら何をしても良いわけではないんです。

空気を読んでください。最適解を導き出してください。
自分にとって、相手にとって、周囲の人たちにとっての最善を考えてください。

たぶん、それがいちばん、安全な考え方だと僕は思いますよ。

 

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