ココロセラピストが語る!? ときどき正義について考えてみよう! ~正義だから正しいわけではなく悪だから悪いわけでもない~

正義

スーパーヒーロー大好き!

僕は、自他ともに認めるヒーロー好き。
日本のヒーローもアメコミのヒーローも大好き。
子供の頃は、圧倒的なパワーや特殊能力に純粋に憧れていた気がします。

今でも、『アベンジャーズ』や『ジャスティスリーグ』は大好きで、関連作品が出れば極力作品を見るようにしています。
コロナの影響で予定されていた作品が延期とか、あり得ない。悲しすぎます。

ちょっと地味だけど大好きなヒーローと言えば『パーマン』。
平成や令和に生まれた人たちは知らないかもしれないけど、良い作品だからぜひ機会があれば読んでみて。なんというか、かっこいいし、わかりやすい。

流行っているから見ている……というより、子供の頃から好きだったものが、ここ10年くらいでようやく世間に認知されたって感じです。

なんていうか、特にヒーローものって幼稚なイメージが昔はあったので、軽視されていた気がするというか、あまり相手にされていなかったのかなっていう気もするんですね。
「僕、スパイダーマンが好きで……」って堂々と言える日が来たなんて嬉しすぎます。
少なくとも「なにそれ?」とは言われないからね。

 

スーパーヒーローになりたいか否か

ちなみに、勘違いされると困るので言っておくと、僕は別にスーパーヒーローになりたいわけじゃない。
スーパーパワーがあれば便利だと思うけど、強力すぎる力が欲しいかと言われると、本心を言えばそれも微妙。

昔、『パーマン』というマンガがあって。これがとにかく大好きで。
小学生が主人公なんだけど、変身して小さな事件から大きな事件までいろいろと解決していくという物語。
小学生だった僕は、それこそパーマンに憧れて、可能なら自身もパーマンになりたいとずっと思ってて。
パーマンセットっていうおもちゃが出た時は本気で欲しかった。結局、手に入れられなかったんだけど。

でも、今、パーマンになれるとして、本当になりたいかって言われたらたぶん、なりたくない。
一瞬は憧れもあるし、なりたいと思うかもしれないけど、一晩考えたらやっぱり、遠慮しちゃうと思う。

 

スーパーヒーローになりたくない理由

パーマンに限らず、スーパーヒーローになりたくない理由。
性格的問題が一番であることは自覚してるんだけど、正直荷が重すぎる。

だって事件のたびに命をかけるとか、まず無理。
小さな事件でも数が多すぎたら、あっという間に燃え尽きちゃうと思う。
パワーが有り余っていてもメンタルが持たない気がする。

子供の頃は勧善懲悪ものの作品が多かった気がするので、「正義は勝つ。悪は滅びる」で良かった。
でも、世の中って勧善懲悪じゃないんだよね、実際は。
ここなんだよ。メンタルが持たなくなる理由。

自分が正義だと思っているから、平然と悪を懲らしめられるわけだよね。
でも、それって自称正義なの。どこまで行っても。

正義

まずさ、考えて欲しいんだけど暴力って正義なのかって話。
悪人が殴られても仕方ないのはわかるけど、殴られて当然な相手のことは、容赦なく殴って良いのかって。
殴る側でいることが楽しいから正義っていうなら、それって正義じゃないよね。
悪がいてくれなきゃ困っちゃう。

子どもが身近にいるなら観察してみると良いですよ。
もしかしたら、あなたも子供の頃、やったか、見たことあると思うけど。
あれって、正義と悪に分かれてたたかいごっこを繰り広げるよね。
でもさ、正義の味方役って、いつしか、エスカレートして傍から見たら悪そのものに映ってたりしなかった?

子どもだから善悪が難しいっていうのはわかるんだけど、それって、大人にも言えるよね。
核爆弾がそうでしょ。
使わないのが前提なら、そんなものいらないよね。
強い武器ではあるけど、使ったら、間違いなく戦争になるし、自分の国だって死人がたくさんでるよ。結果的に。
なのに、持ちたがる。力を誇示することで威嚇できるんだよね。
これって正義なのかって話。