だって考えてみてください。
自分を不幸だと思っている人って、ほとんどが自分の事しか考えていないですよね。
自分のことしか考えない人が、他人にチヤホヤされるわけないし、愛されまくるなんてことは普通に考えてあり得ないのです。
必ずしも世の中が厳しくある必要はありませんが、そんな甘い話は滅多にあるものではありません。
堅実に着々と幸せの種を撒いて、収穫して行くのが無難だと思います。
そして、その種こそが、優しさだと僕は考えています。
言い方を変えれば、愛だったり、思いやりだったりするかもしれません。
それは自分にしっくりくる言葉で大丈夫です。
そして、人ってどんなに強がっても一人では生きていけません。
他人あっての人生です。
だから、優しさを配る対象者がいるということも、本当は幸せの条件なのです。
これも自称不幸な人をイメージすればわかるのですが「優しくするに値する人がいない!」とか言ってませんか。
別に僕は全員に全力で常に最大級の優しさを配れなんて言っていないんです。
恩を売らなくて良い程度の小さな優しさを地味に配っていれば良いだけなので、優しくするに値する人なんていう発想がそもそも要らないのです。
仮に恩を仇で返すだけの人がいるなら、それはそれで、その時にジャッジすれば良いと思うので、それを損したとか、惨めだと解釈しなくて良いと思うのです。
ここで人間不信になる必要もないのです。
小さな優しさを配り続ければ地味に、あちこちに、幸せの連鎖ネットワークができてきます。
そうすれば、小さな損やストレスなんて、どうでもよくなってしまうのです。
優しさを配るということは、自分が優しさを配れる人間だという何よりの証明です。
これも、かなりポイント高いと思います。
優しさ一つ配れないで幸せになろうなんていう方が、そもそも間違っているんですから。
幸せを配る相手がいる。
自分は優しさを配れる人間だ。
これで、かなりリアル幸せに近づいていますよね。最強の剣と盾を持っている感じです。
ただ、勘違いしては困ることがあります。
恩着せがましくなりすぎず、謙虚な気持ちで長いスパンで考えて下さいね。
優しさを配ったのに、ちっともリターンがないとか、いちいち文句を言っていると幸せが逃げてしまいます。
幸せの種である優しさは、カップラーメンではないのでお湯を注いで3分とはいかないのです。
どちらかと言えば植物を種から育てるように、手間暇愛情、そして時間をかけてゆっくりと育てるのです。
そして、タイミング良く収穫すれば良いのです。
一瞬で幸せの絶頂を感じたい方は、残念ながら他を当たって下さい。でも、堅実に、時間をかけてでも幸せを積み重ねていきたい人は、僕を信じて小さな優しさを配り続けて見て下さい。
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