そんなに頑張らなくてもいいんだよ ~ココロセラピストが語る 本当に力を入れたいモノはなに?~

努力

みんなすごいな

僕は恵まれているのか、自分の周りにはスゴイ人が多いです。
オン、オフ問わず。

みんな誇り高く、情熱を持ち、アクティヴに行動して、結果を出して行きます。
常に自己研さんして愚痴も殆ど言いません。

 

人生の時間

みんな人生が有限であることを理解しているからか、常に成長しようとしているのだと思います。
人間は望めばいくらでも成長できるので、それはある意味正しいと思います。
ずっと成長し続ける。確かにカッコ良いです。

 

負けた気がする

たゆまぬ努力は大事かもしれません。
忍耐も大事かもしれません。
それが苦境に屈することなく、どんな困難にも打ち勝って前に進める鋼のメンタルと、そのためのスキルアップにつながるのでしょう。

でも、そこには大きな落とし穴があると僕は思っています。
それに気がつかないと、取り返しのつかないことになってしまうかもしれません。
そうならないためにも、ここで僕と一緒に一旦立ち止まって考えてみましょう。

努力家の人たちの心の裏にある不安ってありますよね。
わかりやすいのがテストの点数とか偏差値とかですよね。
あるいは給料とか、つきあった異性の数や年数など……。
特に数値化された比較可能なもので競争し続けてきた人は努力家が多く、その反面、いつも誰かにライバル心というか敵意をむき出しにして全力疾走で突っ走っているような気がするのです。
数値化されていないものでも、漠然とした何かに怯えて「負けた気がする……」なんて言いながら、何をどう頑張れば良いかわからないのに、とにかく頑張りすぎていたり。

「みんな頑張ってるから、私も頑張らないと……」
「私は元々そんなにすごくないから、努力で埋め合わせないと……」
「まわりの人たちに置いて行かれたくないから……」
「みんなに迷惑かけたくないから……」
etc…。

気持ちは僕にもじゅうぶんわかるのです。
僕は何しろ現役コンプレックスの塊ですから。
自分の周りにハイスペック男子(or女子or「子」とは呼べない年齢層の人たち)がたくさんいたりすると、自分が小さな、情けない人間に思えてきて泣きたくなってくることだって多々ありました。
時には「どうせ、僕なんか、みんなに無能と思われているんだろうな……」なんて思ったりしていじけていたときもありました。

努力

 

不安と恐怖

人が不安になるのは本能的な要素も大きいと思うのである程度は仕方ありません。
不安があるからこそ、危機管理につながるという側面も確かにあると思います。

ただ、だったら、なおさら考えて欲しいのですが、不安に押しつぶされながら毎日、耐えて生きていたら余計につらくないのかということです。