『しあわせリミッター』を解除せよ!~ココロセラピストが語る 怖がる必要も遠慮する必要もない~

しあわせ

本当にしあわせになりたいの?

たくさんの人は言います、「しあわせになりたい!」と。
でも、その中のたくさんの人は、いざしあわせを目の前にしても、そのしあわせを掴もうとしないのです。

 

しあわせが怖い?

しあわせを望んでいるのに、しあわせを手に掴もうとしない人はどういう気持ちなのか。
それはしあわせを怖がっているのです。
怯えているのです。

かくいう僕も、かつてはしあわせを望んでおきながら、いざしあわせが近づいてくると無意識に逃げ腰になってしまっていたことがありました。

 

しあわせのミソ

無意識に……というところがミソです。
自分でも意識しないでしあわせから遠ざかってしまっていたら、しあわせを感じることはできませんものね。

僕たちの本心はしあわせになるのを望んでいるわけです。
なので、だからこそ、ここで無意識に邪魔されないように、みんなで一緒にしあわせについて上書きしてしまいましょう。

「人はどこかでしあわせになることを恐れてしまう」ということを、まず理解して下さい。
もちろん例外もありますが、「へぇ。そうなんだ……」程度で構いません。

「しあわせになるのって、なんだか怖い気がする……」「しあわせになるって不安な感じがする……」と思ってしまうのは仕方のないことです。

「私たちはしあわせにならなければならないのだ!」と強気に出たところで、これは逆効果かもしれません。

心辺りがあるかもしれませんが、「○○しなければならない」という強制力や義務を前面に押し出すと、なんだか、イヤになって来たりしませんか。
「そんなこと言われてもサ……」という具合に。

あるいは自分に義務を課した時を思い出すとわかると思います。
これもやっぱり根底に不安がある場合が多いのです。

「生きていくためには一生懸命勉強したり、働いたりしなければならない」という場合を考えてみてください。
そもそも、一生懸命、勉強しなければならない理由や、働かなければならない理由を考えてみてください。

それをしないと脱落者、または負け組になってしまう気がしませんか。
その不安を打ち消したいがために、義務や努力でカバーしようとする。
いつしかそれが重圧になって苦しくなってしまうのです。

しあわせ

 

『しあわせリミッター』を解除せよ!

しあわせにはなりたい。
でも、なんだかんだでしあわせを自分の手で食い止めてしまっている。
僕はこのような状態を『しあわせリミッター』と呼んでいます。

先ほどから話している『しあわせを恐れる傾向』や『しあわせにならなければならないという義務感』などの総称と思って下さい。

「仮にしあわせを手に入れても長くは続かないのではないか?」「しあわせを知らなければ惨めさも知らずに済むのではないか?」「どうせ私なんかしあわせになれないんだ」などという考えも含みます。

そこで僕はこう提案しています。

「あなたは、しあわせになってもいいんだよ」

と。

「しあわせにならなければならない」「しあわせになるべき」でも、悪くはないのですが、先ほど言った理由と同じで義務感にしてしまうと心に重圧がかかってしまうので、ニュアンスを変えて義務感ではなく許可にしています。

「いいんだよ」と。

「しあわせになってもいいんだよ」と言われたら、なんとなく重圧よりも「そっか。しあわせになってもいいんだ……」というホッとした気持ちになりませんか。

実際にしあわせになれるかどうかがわからずに不安になるかもしれません。
でも、しあわせになる許可がでているなら、チャンスさえあればいつでもどこでもしあわせになって良いという感覚になりますよね。
つまり、しあわせを感じられる土壌が作られるのです。

それを僕は『しあわせリミッターの解除』と呼んでいます。

 

しあわせのコツ

しあわせ

ときどき「誰か、私をしあわせにして!」という人がいます。
その気持ちはわからないでもありません。
僕も基本受け身人間なので理解も共感もできます。

ただ「じゃあ、いいじゃないですか……」で終わりにしてしまうと少し勿体ないです。
なので、もう少しお話を続けたいと思います。

『しあわせ』に「する」「される」という表現方法も確かにあります。
結婚のプロポーズとか、そんな感じですよね。
それはそれでロマンを感じます。

それはそれとして、別アプローチをひとつ。
しあわせは……感じるモノ。感じるモノです。
繰り返しました。とても重要だからです。

つまりしあわせは誰かがくれるとか、そういうものとは限らず、自分自身が主観的に感じるモノであり、感じられればしあわせということなのです。

ということは、極論を言えば自分がしあわせだと感じられれば、いつでもどこでもしあわせな状態になれるということです。

そんな都合のいい話があるのかとツッコミを入れたくなるかもしれません。
でも、しあわせの感じ方は千差万別。
本人がしあわせだと本気で思えたら、それでOKということにしておきましょう。

そして、自分がしあわせを感じられるようになったら、今度はGIVEの精神で、しあわせの種を撒きましょう。
簡単に言えば、人が喜ぶことをしましょうということです。
しあわせを感じられるきっかけをプレゼントし続けるのです。

もし、みんながしあわせの種を撒き続けて、みんながそれを大切に想い、育てて行けば、しあわせの連鎖が起こると思います。

難しいことをする必要はありません。
みんなでどんどんしあわせになりましょう。

 

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