京都
先日、京都に行って来ました。
半分仕事で半分プライベートです。
いや、本当のところどうだろう。
とにかく結論から言うと楽しかったです。
僕は基本的にひきこもり体質です。
そして公私ともに移動をそれほど好みません。
自分のテリトリー内で完結させるのが好きな性格なので、同じ場所にじっとして、地味に動く程度が心地よいと思っています。
え? なんで?
ひきこもり体質の僕が何故、京都に行くことにしたかというお話をします。
今でも、わからないといえばわからないのですが……。
ある先生に「力を貸して下さい」と声をかけていただいたのです。
これも結論を言うと、僕は何の力も貸していませんし、実際は何の役にも立たなかったです。
まず声をかけていただけたことが純粋に嬉しかった。
必要とされた。
これが嬉しかったのです。
僕に限ったことではないと思うのですが、自分という存在を必要とされる喜びというのは本当に嬉しいものですよね。
もちろん僕が尊敬する方に声をかけていただけたから、というのもあります。
そして、言葉の使い方が素晴らしいです。
僕の基本性格を考えると、普通に「京都に行きませんか?」という誘われ方だったら「行かない……」と答えていたと思います。
普段行かない土地に行く憧れはありますが、めんどくさいという気持ちや変な緊張感が先走ってしまうからです。
でも、誘い方が僕の心を大きく動かしてしまったのです。
その時点で、僕の非日常は始まっていたのかもしれません。
コトダマ
「力を貸して下さい」という殺し文句。
これは強力です。
相手を無力だと思うなら、お世辞でもそういうことは言わないと思います。
つまり、これは「あなたには私が求める力がある」ということを認めてくれているのです。
力と言いましたが、もしかしたら人格も含まれているのかもしれません。
とにかく、自分の存在を認めてくれるというのは殆どの人が嬉しく感じると思うのです。
しかも、案に「あなたを信頼しています」というアプローチでもあるので、それがまた嬉しいのです。
実際に行くか行かないかを決めたのは僕ですが、行くという決断に向けて誘導したのは紛れも無く、その先生の言葉です。
これこそが『コトダマ』の力ですよね。
カッコイイ口説き文句を言っても心を込めなければバレてしまいます。
でも、相手の言葉に本気を感じられると一気に言葉の重みが変わります。
信頼関係と言葉の選び方と本気度。
最強の組み合わせです。
これは僕の持論ですが、人と接する時は本気で接した方が信頼関係は深まります。
本気でぶつかってくる相手が苦手な方もいますが、よほど相手が嫌がることをしない限りはまず嫌われないです。