お! なんだかしあわせな気分だぞ!? ~ココロセラピストが語るリア充とは?~

しあわせ

今となっては既に昔の話なのですが……。

2018年は僕にとってどん底でした。
過去最大級で自分を不幸だと思っていました。

それはそれとして、徐々にではありますが、2019年に入ると人生が平穏に戻ってきたような気がしないでもないなと感じていました。
でも、気がつくと、今度は楽しくはあるけれど多忙で自分の時間が殆ど取れない日が続いていました。

 

ふと気づくと、僕はしあわせだった。

気がつくと秋になっていました。
ふと海に行ってみると雲の形が夏のそれとは違う何かになっていました。

といっても、じっくりと夏の空を見ていたかのかというと、そんな余裕はなかった気がします。
「空ってこんな色だったんだ……」「雲ってこんな形だったんだ……」と季節を感じることができました。
風を感じました。
砂浜の感触を感じました。
海の水の冷たさを感じました。

……「だからなに?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
でも、ただそれだけのことなのですが、僕にはそれが、とてもしあわせな瞬間に思えたのです。

ある時、ふと夜空を見上げました。
月が静かに輝いていました。
別に形式ばってお月見をしたわけではありません。
ただ単に立ち止まって空を見上げただけです。
でも、月は僕に優しく微笑みかけてくれた気がしました。
「夜空ってこんなに綺麗だったんだ。月ってこんなに美しかったんだ」と思いました。

……その瞬間、やっぱり僕は自分がしあわせな気持ちであることを実感できたのでした。

 

実際は暇になったわけではありません。

それって心に余裕ができたから、そう思えるわけで、そう思えなければ、しあわせと感じることはなかったと思います。

しかし、余裕ができたと言っても、金銭的余裕ができたわけでも、時間的余裕ができたわけでもありません。
仕事量が減ったとか、そういうわけでもありません。

今は仕事も大変ではありますが、やりがいを感じていますし、充実もしています。
欲を言えば、もう少し公私ともに自分の時間が欲しいなって思っています。
疲れも完全に抜け切ったわけではありません。
状況があからさまに一変して僕の運気が著しくアップしたかと言えば、謎です。
実際はそんなに暇ではありませんし、問題がないわけでもないのです。

ただ、ふとした瞬間に、思い出してしまったのです。
世界がこんなにも美しいことを。世界がこんなにも楽しいということを。
世界がこんなにも自分を癒してくれているのだということを。

頭では理解しているつもりでも、この感覚というのは意識しないと案外忘れてしまうものです。
特に忙しければ忙しいほど、ストレスがたまればたまるほど忘れてしまうのです。

ふとした瞬間に得たこの感覚。
これは「思い出してしまった」と言いましたが、ある意味「気づき」の一種なのかもしれません。

しあわせ

 

立ち止まることでしあわせが見つかる!

どこか旅行に出かけたとか、そういう能動的なことでなくても問題ないのです。
忙しいなら忙しいで、仕方がないのかもしれません。
ただ、ふと立ち止まってみる。これが大事なのです。

自分の見ている世界はほんの小さなもので。
でも、自分を取り巻いている世界は確実にもっと広いわけで。

立ち止まれば必ず気づきが得られるかと言えば、そんなに甘いものでもありません。
ただ、ひたすら目の前しか見えずに突っ走り過ぎると、大切なモノをたくさん拾い忘れてしまうであろうこともまた事実です。

僕はお昼ご飯におにぎりを食べているのですが、以前は食べると言うより、飲み込むという感じでした。
食事というものを明らかに軽視していたというか。

たかがおにぎり。しょぼい。
そう思うかもしれませんが、これも、じっくりと味わって食べるととても美味しいのです。

「お米ってこんな味だったんだ!」「塩の味がジワジワと口の中で広がって行く!」「海苔の香りがとても癒される!」などなど、いろいろな気づきがあるのです。

「食事は栄養補給。ワンハンドで、一瞬で食べ終えれば、それでOK!」みたいな考え方をしていると本当に勿体ないです。

 

気をつけて欲しいコト

そんなこんなで僕は自分がしあわせであることに気がついたわけです。
しあわせに気づけて本当に良かったともいます。

こんな感じで、この記事を真剣に読んで下さっているあたなにも同様にたくさんの身近な幸せを感じて欲しいです。

しあわせ

でも、念のため注意書きを補足しておきます。
これは決して「ポジティヴ・シンキングしなさい!」というわけではありません。
この話は「ふと立ち止まってみると、ふと気づきが得られるかもしれない。それが、しあわせに感じられるかもしれない」という内容です。

そして僕の話で言うならば不幸のどん底2018年に、それを試していたらしあわせになれていたかもしれないか……というと、そういうわけではないこともわかっています。

だって、本当に辛い時は何をしても辛いですから。
悲しみに押しつぶされそうになりますから。
辛い時はつらいと感じても良いし、それはそれで大事な時間だと僕は思います。

絶対的な保証を求めたりする方向きではありません。
その時点で、心に余裕を持てていない証拠なので、心構えができていないと少し難しいかもしれません。

なんとなく「そういうものなのか……。よし。じゃあ、試しにやってみるか……」程度の気持ちの方が、結果的にしあわせを感じられる気がします。

小さな気づき。
小さなしあわせ。
ぜひ、試してみてください。

 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713