ココロセラピストが語る! ひきこもりを悪人と同一視し過ぎていませんか? ~一方的な視点では真実は見えない~

ひきこもり

もし、ひきこもりでも、家から一歩も出なくても、何らかの収入を得る方法があって億万長者だったら、誰も、その人がひきこもりであることをバカにしたりしないと思うのです。
もしかしたら「俺も、ひきこもりワーカーになりたい!」という人が増えるかもしれません。

だとしたら、それってひきこもりが問題ではないということですよね。
そこが問題ではないのなら、なぜそこだけがフォーカスされて問題視されるのか僕には疑問でなりません。

ひきこもり支援を考えるなら「力づくでも外に引っ張りだす」という考えではなく、もっと柔軟に新しい概念を生み出すことも重要です。

 

わかるよ、外に出たくない気持ち

僕は厳密にはひきこもりでもなんでもありません。
ただ、外に行きたくないと思ったことは多々あります。
なので、ひきこもりの人の気持ちがわならかくはありません。

たとえば、僕は学校が好きじゃなかったんです。
特に体育。
運動神経が良かったら話が違ってきたかというと、そうでもないと思います。

僕はまず、砂埃や埃にものすごく弱いんです。
だから、未だに大掃除とかに力を入れると数日間、熱にうなされたりします。
なのでグラウンドの砂埃とか、ものすごく苦手なんです。
後、走るのがものすごく嫌で。

早く走れないから惨めということではなくて、走ると苦しくなるんです。
喉がヒューヒュー、ゼェゼェするというか。
痰が酷くなったり。

一般的な「走れば誰だって息切れするよ」という話ではないんですね。

特に嫌いだったのか耐寒マラソン。
俗にいう長距離走。
これをすると、どうなるかというと、次の授業にまったく集中できなくなるんです。
苦しくて。
普通の人なら、5分もすれば息切れもなおると思うんですけど、僕は一時間くらいは苦しみます。

体を鍛えることは大事だと思いますし、運動神経がよくなることも大事だと思います。
でも、みんながみんな、同じ前提条件ではないんです。
参加することに意義があると言われそうですが、わからない人には絶対にわからない地獄の苦しみがあるんですね。

そういうわけで小さい頃から、鬼ごっこも大嫌いでした。
野球やサッカーもそんなに好きではありませんでした。
鬼ごっこや、野球、サッカーの存在を否定しているわけではもちろんありません。
少なくとも僕には不向きというだけの話です。

というわけで、学校といえば皆勤の美学のようなものがありますが、僕は美学よりも自分の健康を維持する方が大事だったので、そこまでして学校に行って辛いことをしなければならない理由がわかりませんでした。

もちろん学校という存在を否定しているわけではないですし、学校も楽しいことはたくさんあります。
時には気合いや忍耐を学ぶ必要もあるでしょう。
ただ個人によって限度が違うのです。

ひきこもり

なんというか、そういうのって理解されないですよね。
マイノリティ(?)の気持ちって軽視されてしまうので、僕がどんなに事情を説明しても誰も理解してくれないし「運動嫌い」「家でゴロゴロしてばっかり」「協調性がない」「いつも具合が悪そう」「自分だけが辛いと思っている」etc…と変なレッテルを貼られまくってしまうのです。

後、僕はタバコが大の苦手で、直接目の前で吸われなくても少しでも匂いがすると敏感に反応して瞬時にして具合が悪くなります。

だから仕事探しもいつも本当に苦労しています。
禁煙の紙が貼ってある部屋でみんなが堂々とタバコを吸っているとか、何故かおばちゃんが男子更衣室で「女子更衣室でタバコ吸うと嫌がられるのよねー」とか言いながらプカプカとタバコを吸っていたり。
分煙を謳っていても喫煙者が多ければ休憩時間に喫煙室に人が群がり、休憩後はその扉が開いた途端、毒ガス攻撃の如く悪臭が漂ってきたり。
もう、何も信じられません。

喫煙者はタバコは楽しいものという認識なので僕の気持ちなんてどんなに説明してもわかってくれませんし、少しでも強く強調すると大抵バトルになります。

未だに路上喫煙者とかいますよね。
正直、外に出る度に周囲を警戒して危険を察知したら、自分は何も悪いことをしていないのに、逃げなければならないわけです。

なので、学校の話も、タバコの話も、誰にしても「そうなんだね」と言って軽くスルーされるか「私は、そこまで気にならない」と言われるか「大袈裟なヤツだな」と言われるかなのです。

そうなると、どうせ自分の話なんか誰も信じてくれないし、奇異の目で見てくるだけだし、ひきこもるしか道はないよね……という発想になっても仕方がないのかなと思うのです。

結論として僕はひきこもりではないので耐えてますよ。
仕方無いですから。
外に出れば何処かで誰かが路上喫煙してますし。
ものすごく心身に苦痛を伴いますが、理解されないわけですから仕方ありません。

でも、それは「なんだかんだで耐えられている」だけの話で、僕が耐えられているから他の似たようなタイプの人が耐えられるかというと、そうではないのです。

「え? そんなことで、ひきこもりになるの?」と思うかもしれませんが、生き辛さって、人によってまったく違うのです。

 

ひきこもりに花束を

ひきこもりの人たちが、良い人か悪い人かは別問題です。
事情も様々です。
でも、何故、外に出たくないのか。
出たくないのではなく出られない理由があるのではないか。
本当に外に出なければいけないのか。
そういうことを検討して欲しいのです。
本当に一歩でも外に出したいのなら、ひきこもりの人にとってのバリアを取ってあげることが重要なのです。

差別したり力づくでどうこうしようとするのではなく、共存できる方法を共に模索して行くことが大事なのです。

 

《ココロセラピストTATSUMI さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/%E5%B1%B1%EF%A8%91%E9%81%94%E5%B7%B3/?c=6713