人生の壁が神様の仕業だったとします。
「なんで、こんなことに!?」と思う瞬間は、未知なるモノの恐怖がとても強くなっている瞬間です。
そうすると、その壁を人は「神様の与えた試練だ!」という具合に考える人もでてきます。
それが本当に神様の与えた試練かどうかは僕にはわかりません。
神様の存在を否定するつもりはありませんし、僕も信じています。
ただ、なんでもかんでも神様の責任(意志)と解釈して良いのかな、とは思っています。
ではその「なんで、こんなことに!?」が神様の仕業だったとします。
「神は乗り越えられない試練は与えない!」と思うかもしれません。
でも「私は遂に神様に見捨てられた!」と思う人も一定数いるのです。
そもそも、神様の試練だとしても神様が乗り越えられない試練を与えないということそのものが、トンデモですから。
「乗り越えられない辛さを学ぶ試練」という場合だって考えられるのです。
つまり、神様の試練であろうとなかろうと、それが自分にとって未知なる恐怖である限り、不安や恐怖は簡単には消えないのです。
このような話をすると神様を否定しているように感じるかもしれませんが、そういうことではありません。
神様が何を考えているかは神のみぞ知る。
そういう認識で良いのかなと思います。
なぜなら神は人間の常識の範疇を遥かに超えているのだから。
もしかしたら神様は試練を与えても「これは試練だから、苦しみながら耐えなくちゃ! 乗り越えなくちゃ!」なんて思わずに「、もっと気楽で良いのにな……」とか「もうちょっと考えて行動して欲しいな……」と思っているかもしれません。
「これは神様の試練だから○○に違いない!」と勝手に決めつけるのもどうなのかなと思います。
自分と神様を同格に思うのも不謹慎かもしれませんが、「僕、そういうつもりで言ったんじゃないんだけどな……」みたいな気持ちになるとやりきれないですよね。
それは神様にしても同じだと思うのです。
「神様、今日も無事に生きのびることができました! ありがとうございます!」
試練がどうと言うよりも、まずは感謝の気持ちを忘れないこと。
神様を信じているなら、僕はそれこそが優先順位的に高いのではないかと思います。
セルフイメージで人生は変わる!
自分がどういう存在なのかはなかなか難しい問題です。
しかし結局どんなに考えてもわからないので、ある程度は自分で決めてしまって良いのです。
というか、決めてしまっているから、今の人生に至っているとも言えるのです。
「どうせ私は不幸なんだ!」と公言している人は、自分でそのように意志表示してしまっているので幸せが遠のくのは当然です。
普通に考えたら、そういう人に近寄りたくないではないですか。
『エナジーヴァンパイア』ですから。
人生が思い通りに行くかどうかは別として、自分の人生をどのように認識するかは自分の与える影響が本当に大きいです。
「じゃあ、プラス発想すれば良いんですか? 幸せになれるんですか? 保証してくれるんですか?」というのは、もうお分かりだと思いますが愚問です。
結局、人間は未知なるモノを恐れる恐怖は消えません。
でも、僕はそこで悲観的になれとは一言も言っていません。
人は未知なるモノを恐れます。
でも、未知なるモノだからこそ『希望』も存在しているのです。
わかりきっているモノは希望とは言わないですよね。
陰と陽。
どちらも存在しているのです。
自分の存在価値は未知数です。
神様は知っているかもしれませんが、神様が手とり足とり教えてくれるのを期待するのではなくて、自分なりに思考錯誤しながら、少しずつ人生の質を高めて行きましょう。
人生の結果は誰にもわかりません。
だからこそ、どうせなら自分が幸せと思える生き方をどんどん選択して進んで行きましょう!
それから……。
あなたは決して一人ではありません。
「どうせ私は孤独なんだ……」と思わないで下さい。
僕はあなたの味方です。
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