ココロセラピストが語る! 気まずくなる瞬間!? ~空気を読みコントロールしよう!~

どうして同じ人間なのに……?

ストレスの大半は人間関係です、たぶん。
さて。そこでこんなふうに思ったりはしたことありませんか。
「どうして同じ人間なのに分かり合えないんだろう?」と。

人間は十人十色です。
厳密には人間だけではなく、あらゆる生命体が多様性や個性を持っていると思いますが。

つまり同じ人間ではあるかもしれないけれど、一人一人は違った存在なのです。
ここをきちんと理解していないと「なぜ? どうして?」とエンドレス・ループに突入してしまいます。

みんな個性があるということを思い出して下さいね。

「どうして同じ人間なのに……?」という疑問が浮かぶ気持ちはわかるのですが、ここで自分を基準軸にしてしまうと問題なのです。

どこかで「私たち同じ人間なのに」というセリフの裏に「みんな私と同じ価値観じゃないなんて変だ!」と思っていたりしますよね。

僕も気をつけないと、ついつい自分ではない人間を『自分のものさし』に当てはめてしまって痛い目をみます。
なので、結構、気をつけています。

 

空気を読む能力は大事です!

コミュニケーションを取る上で必要な能力は空気を読む力です。
ちなみに、僕が言っているのは、相手に合わせなさいということではありません。
そういうことも大事ですし、状況に応じて敢えて空気を読めるからこそ、流れを変える強引さが必要な時もあります。

「空気を読むな!」という人もいますが、おそらく「何も考えずに、自分のいいたいことを言いまくれ!」という意味ではなく、自分以外の誰かに飲む込まれるな、という意味で言っている人が多いと思います。

空気を読むということは、読書と同じです。
「本を読む」というのは文字を追い続ける作業ではありません。
文字を追って、内容を把握して、自分中で何かを感じたり、考えたりしながら、自分の中にそれらを落とし入れていくものですよね。

自分のいる場所、考え、タイミング、相手の言語、非言語などから、メッセージを受け取り、理解する。
そして、それを自分の中で咀嚼します。
共感できるとか、少し違うとか考えながら、自分がどう反応するかを考えて相手にそれを伝えるわけです。

たとえば、授業中におしゃべりをしていたら怒られますよね。
なぜなら授業中は授業を受ける時間だからです。
だから授業中に騒がないのです。
授業中に騒ぎ出したり、関係無い話題をずっと喋っていたりする生徒がいたら、先生だけでなく他の生徒も迷惑な顔をすると思います。
これは空気を読めているから、そういう反応ができるのです。

ちなみに、授業中でも必ずしも静かにしなければならないわけでもありません。
先生が質問したら、できれば、たくさんの人が手を上げて質問に応えるのがベストです。
静まり返ってしまったら、気まずい静寂が訪れます。ディスカッションの時間に誰も発言しないとかもそうですよね。

そう考えると「空気を読む」という能力は「気まずくならないようにする作業」とも言えるかもしれません。
気まずさは物事が円滑に進まなくなるからです。

ただ常識やルール、パターンに縛られすぎるのも問題です。
たとえば、授業中に隣の席の子が顔面蒼白だったら、スルーして静かに所行を聞いて入れば良いかというと、必ずしもそうではありません。
授業中という空気は乱れますが、「先生! ○○さんが具合悪そうです!」と発言したら、それはとても立派なことです。
自分が具合悪い時も同様です。
黙って耐えるのが正解とは限りません。

 

自分のものさしだけで話を進めようとすると気まずい!

これは相性とも非常に密接な関係があるのですが『ものさし(価値観)の種類』が似ていると、案外意気投合出来たりするものです。

仮に空気が読めないタイプの人が『自分のものさし』で物事を判断し、一方的に話をしても、相手が変な気まずさを感じずに済むのです。

空気を読み過ぎて悩んでしまうタイプは、相手が『自分のものさし』とは『違うものさし』を持っているという前提で物事を考えます。
そして「自分が必ずしも正しいわけではない……」と思ったりして相手に合わせてしまうと、後でどっと疲れたり、後悔したりして悩むわけです。

ポイントはどこまで相手に合わせて、どこまで自分を出して良いかをきちんと把握することです。
自分の意見を完全無視したコミュニケーションなんて、そもそもコミュニケーションとは言い難いです。
だからと言って「私、私……!」みたいなのもコミュニケーションが取れているとは言えません。