ココロセラピストが語る! 言葉が人の人生を変える ~思いやりの言葉を習慣にしよう~

原稿が書けなかった

正直に言うと、今まで何時間も机に向かっていながらも原稿を一文字も書くことができませんでした。
決して、めんどくさいとか、書きたくないということではありません。

どちらかと言えば、僕は仕事の中でも特に文章を書いている時は至福の時間であり、これからもずっと書き続けたいと思っているくらいです。

何故かというと、自分の想いを文章に乗せてあなたに伝えられるからです。
そして、僕の言葉に共感できるかどうかは別として、何かしらの考えるきっかけにはなると思っているからです。

僕を知っている人も知らない人も、とにかく記事を読めば僕という人間を知って貰う事ができます。
運が良ければ、ご縁がつながりますし、仲間も増えます。
運が良ければファンも増えます←わらうところ。

そうやって、想いを文章に載せてあなたに届ける作業。
これが僕は楽しくて仕方がないのです。
なのに、何時間もボーっとして意識が飛んでいました。

ふと我に返って執筆しようと思って、どうせなら、この状況をそのまま書こうと思った次第です。

 

死を想う

今もそうなのですが、最近、死に関することをよく考えます。
決して、自分が生きる気力が無くなったとかそういうことではないのでご心配には至りません。

ただ、ここ数カ月は特に、ふと故人たちを思い出すのです。
子供の頃は死なんて遠い存在だったけれど、大人になると、徐々にそうでもなくなってくるものです。
というか、生と死は常に隣り合わせなんだよなと感じますよね。

こんな暗い話をトリニティに書いて良いのか、一瞬だけ悩みましたが、ネガティヴな話を書きたいわけではないのでご容赦ください。
死というとなんとなくタブーな感じがしますが、死は別にそんなにタブーにしなくても良いと思うのです。
タブーは「死にたい……」とか「死ねばいいのに……」くらいで十分です。

 

故人

数ヶ月前に思い出したのは、かつて自ら命を断ってしまった仕事仲間のこと。
彼とはそれほど接点も無く、軽く挨拶を交わす程度ではありましたが訃報を聞いた時は、本当に悲しい気持ちになりました。

自殺が良いとか悪いとか、そういう話ではないです。
でも、とても悲しかったので部署は違いましたがお通夜に参加させて貰いました。

プライバシーの問題があるので詳細は語りませんが、彼の死んだ本当の理由はうやむやになっていますが、正直に言うとパワハラが原因だったのではないかと思っています。

彼の口から愚痴などは聞いた事はありませんでしたが、たぶんそうだと思います。
時々、怒鳴りつけられていたりする場面を目撃していたので。
かなり暴言を吐かれていました。

僕はココロセラピストです。
商売道具は言葉です。
だから、さっきも言いましたが執筆の仕事は大好きだし、楽しくて仕方がないのです。

今になって考えると、彼の死は僕の人生に大きく影響を与えている気がします。
だって、この事件は僕に「人は言葉で関わる人の人生を変えることができる」と証明してしまったのですから。

だから僕は言葉と心と人生が密接に関係していることを若い時から知っていたのです。
だから、僕は言葉で人を救いたいのです。
言霊の説明は省きますが、言葉のパワーは本当に強力です。
だから、うまく使いこなせれば、人の人生を好転させることだってできるはずなのです。

別に「セラピストになりなよ!」とか「カウンセラーはいいよ!」という話ではなく、言葉ひとつで人生を大きく動かせるわけだから、普段から、できるだけ愛のある言葉を使っていれば、自然と、関わる人たちは幸せになっていきますからね。
そして、同時に、自分の安易な発言が、もしかしたら誰かにものすごく傷つけている可能性もあるのだということは、絶対に忘れないで下さい。