ココロセラピストが考える! 捨てるの大好き!『捨て子さん』とは!? ~ なんでも捨ててスッキリ爽快?~

バブルの負の遺産?

僕が子供の頃は少なくとも「モノを大切にしましょう」と教わって来ました。
我が家に限ったことでは無くて、どこの家でも学校でも、そのように教えていたのではないかと思います。

ただ、バブル時代の影響の名残なのか、今も「なんでもかんでも捨てるのが偉い!」みたいな風潮が残っている気がします。

ネットなどを見ると「ダンシャリしましたー★」という投稿を今でもたくさん見かけます。

一見すると、不要なモノを手放して、気分さっぱりになろうという前向きな感じがします。
でも、どうも僕は心にモヤモヤした何かが残ってしまうのです。

どうも『断捨離(※商標登録されているそうです)』という言葉が一人歩きしているように感じるのです。
ちなみに『断捨離』は、「とにかく捨てましょう!」という意味ではないと思います。
興味のある方はぜひネットで検索してみてください。

それはそうと、「今はエコの時代だ!」なんて言いながら、『捨てる美学』のようなものが定着してしまっているのは、いささか矛盾を感じたりしないでしょうか。

ゴミを捨てるのも、掃除をするのも、整理整頓するのもとても大事です。
でも、捨てるの大好き『捨て子さん』は、少し違う気がします。

ちなみに『捨て子さん』とは、なんでもかんでも容赦なく捨ててスッキリする人と解釈して下さい。

 

一人歩きした『ダンシャリ』は『リア充アピール』と化した!?

一体僕が何をモヤモヤしているのかを説明したいと思います。
まず、「ダンシャリしましたー★」と写真付きで載せている人って共通点があると思いませんか。

これは僕の偏見かもしれませんが、それらの写真は僕から見て『高価なモノ』が多い気がするのです。
「これ、本当に捨てちゃうの?」と言いたくなるような。

もちろん誰が何を捨てるかは自由です。
まだ使えるものであっても、本人が不要と感じたのなら処分しても良いと思うのです。

あくまでも僕の個人的な感想ですが、正直「高価なモノを捨てても痛くも痒くもないセレブな私!」という、俗にいう『リア充アピール』な気がしないでもないのです。
もう少し軽く解釈しても「高価なモノを捨てた勇気ある私!」と自己主張しているようにも思えるのです。

もし、その解釈が当たっているとしたら「モノを捨てる=カッコ良い」というイメージが世間に定着してしまったのかなという気がします。

そこで改めてみなさんに問いかけたいのです。
「モノを捨てるのってカッコ良いことなのですか?」と。

中にはまだ使え無さそうなモノを処分する際に「よかったら、あげます」という方もいらっしゃいます。
この場合は、意味合いがまったく変わってきますよね。

これだと『3R』でいうところの『リユース』ですよね。
分かりやすく説明すると「再利用する」ということです。
誰かが引き取って貰ってくれれば、まだまだ現役で役に立ちますからね。

もちろん「捨てる前に誰かにあげなさい」と言っているわけではなくて、捨てるなら捨てるで構わないのです。
ただ、わざわざ写真にとってネットにアップして、手間暇かけて『リア充アピール』するのなら、『リユース』の方が本当の意味で『リア充』なのではないかという気がするのです。

あと、その手の投稿をする際に「これは以前、○○さんにプレゼントで頂いたモノなのですが、使わなくなったのでダンジャリー★」という方も稀にいらっしゃるようです。

これは極めて危険です。
本当に不要と判断して捨てるのは構わないのですが一歩間違えると友情まで捨ててしまうことになります。

プレゼントというのは『気持ち』が込められているということを忘れないで欲しいのです。

だから捨てる時にも、「捨ててサッパリ!」みたいな印象を与えてしまうと大問題なのです。

仮にそれが古くなったモノでも、壊れてしまったモノでも、プレゼントした人がその投稿を見たら、少なからず「結果的に捨ててサッパリするようなモノをあげてしまったのね……」と悲しい気持ちになってしまうと思うのです。

だからと言って「気持ちだけは今も受け取ったままで、ダンジャリー★」と書いたら大丈夫とか、そういう問題ではありません。
くれた人にも、モノそのものにも感謝しながらお別れして欲しいのです。
僕としてはモラルの問題として、あまり投稿しない方が良いと思います。