明日死ぬとしたら、何をするだろうか?
生きていれば、いつか必ず死を迎える。
それは決まっていること。誰もが例外なく起こること。必ず起きること。
カナイダです。
最近、お知り合いの方が言いました。
「明日死ぬとしたら何をする?」
言った本人も、そんなに深い意味はなかったようですが、その後、話は盛り上がり、様々な意見が飛び交いました。
(なんか昔、そんなドラマあったよな……)
そんなこと考えながら、意見は大きく次の2つに分かれました。
①私利私欲に走りお金を使いまくる。
②大切な人に感謝を伝えにまわる。
どちらが良いという話ではありませんが、その後議論してみて
①の私利私欲に関してはいざ命が尽きるその瞬間に、なんとなく寂しいかなという話になりました。
物を買ってもあの世に持っていけるわけでもないし、何より1人で物を買っても満たされるかなーと。
一方で
②の感謝を伝えてまわる。
という意見に関しては、命が尽きる時には感謝を伝えられたことで、その日の過ごし方には後悔がないものの—
「もっとこの人たちと一緒にいたい。」と寂しい気持ちは残るかな。という話になりました。
たしかに、死を迎えた僕たちの肉体は、魂と離れて動かなくなるわけで、肉体を通じて言葉を発することはできなくなります。
言いたいことがあっても感謝の気持ちを伝えられない。
怒りたくても怒れない。
悲しいと言いたくても伝えられない。
もしそうだったらどんな気持ちが湧いてくるでしょうか。
今日会ったその人に「またね。」また会えるでしょうか。
親と喧嘩していて「もう顔も見たくない。」その顔はもう見れないかもしれません。
それが後悔しない生き方でしょうか。
後悔する生き方じゃないでしょうか。
もし、死ぬ前に感謝を伝えたいと思うのなら、普段から感謝を伝えよう。
僕たちは、普段いつまでも同じように時間が過ぎると錯覚しがちです。
そんな錯覚は時としてとても残酷な現実を見せる時もあります。
「もし明日死ぬとしたらどうする?」
そう聞かれた時、「ありがとう」と感謝を伝えたい人がいるのなら、普段の生活が凄くもったいなく感じると思います。
今すぐにでも「ありがとう」と伝えましょう。
会えないのなら久しぶりに連絡してみて「ありがとう」と言いましょう。
ケンカをしていて気まずくても、ケンカすらもできなくなると思えば違った気持ちが生まれるのではないでしょうか。
「死」というものは僕たちの近くにいます。
でもそれをネガティブに受け入れず、だからこそ普段から感謝を持って生きていると、より良くいきることに繋がります。
以上、「明日、死ぬかもよ?」って意識が人生をより良くする理由。
カナイダでした。
(「well-beingMagazine.」運営中。)
https://www.kanaida.net
《カナイダ さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/kanaida/?c=160275