小室哲哉さん、引退?
’18年1月19日、突然そんなニュースが入って来ました。
僕は自他共に認める大の小室哲哉さんの大ファンなのでとてもショッキングでした。
しかも不倫《疑惑》がきっかけというとんでもない事態でした。
不倫の話ってそんなに楽しい?
僕と同じ感想を抱いている方が多いと思うのですが、どうも多くの方が不倫の話が大好きなように思えてなりません。
不倫の話題が出ると不思議と盛り上がるのです。
そもそも、取りあげられるべき大事な問題はたくさんあるのに、不倫の話になるとまるでお祭り騒ぎです。
特に芸能界の方は標的にされやすいです。
有名税と言われればそれまでですが、やはりおかしいと思うのです。
記者会見とか普通に考えたら変ですよね。
謝罪会見とか、そのような表現をする場合もありますが、それも変です。
何に対して誰に謝罪をするのか。良い事ではないにしてもプライベートなことなので、社会的にどうこういう問題ではないと思うのです。
一般人の場合でも知っている人が不倫をすると、瞬く間に噂になってネタにされます。
そうです。
問題は、まさにそこなのです。
『ネタ』なのです。
これってもはや善悪の問題でもなんでもなくネタとして盛り上がっているだけの気がしてならないのです。
倫理に反しているから不倫なのに、ネタにするために不倫を取りあげて喜んでいる時点で、倫理に反しているのは本当のところどちらなのだろうという気がするのです。
イジメと同じ構図な気がする
『正義という大義名分』の元に多腕を振って、自分のストレス発散のために、面白おかしく当事者を吊るしあげる。
「だって、みんな色々言ってるよ?」というかもしれませんが、これは集団イジメと似ている気がします。
イジメって単独でイジメる場合もありますが、多くの場合は複数でイジメますよね。
みんなで悪口を言う。みんなで無視をする。でも、イジメ参加者の多くは誰かの影響を受けて「みんながそうしてるから、自分もやった方が良いのかなと思って……」みたいな奇妙な力に同調してしまっているだけなのです。
本当に全員から恨まれて全員が自発的にイジメてやろうと思うかというと、決してそういうことはないと思うのです。
これは大人も子供も同じです。
イジメのよくあるパターンとしては相手の弱みを見つけて徹底的に叩く方法があります。
小さな事でも何でも良いのです。
とにかく対象者に『悪人』というレッテルを貼ればそれで良いのです。
相手に悪人のレッテルさえ貼れば、自分は『正義の味方』になり、相手を必要以上に陥れても許される『免罪符』を得られるのです。
本当は、そんなものはないのですが、そう思う事で自分の行為を正当化できるのです。
ましてや疑惑の段階で憶測だけで面白がって話題にするのも正直問題だと思っています。
疑わしいというだけで勝手に各々が裁きを下し始めたら、それこそ『魔女狩り』です。
本当に問題を改善するために正義を貫きたいのなら
もし本当に正義を貫きたいのなら、疑わしいだけで安易に人を叩いたりしない事が大事です。
そして、不倫の話で言うなら、当事者を叩く事でパートナーも必然的に話題に上がって来て余計に傷つけてしまう可能性がある事を忘れてはなりません。
つまりネタにされてしまうのです。
また吊るしあげて叩くよりも先に、不倫が問題だと思うのであれば気付いた人が言い触らす前に、本人に話を聞いて状況を確認すれば良いのです。
もしかしたら深い悩みを抱えていて自分を見失っているのかもしれません。
だったら深みにはまる前に助けてあげればいいのです。
ハニートラップ等の罠に嵌められているなら、マインドコントロールを解除してあげればいいのです。
どうして良いかわからなければ、カウンセリングを勧めて一緒に着いて行ってあげればいいのです。
ただ吊るしあげてバッシングして、面白おかしくネタにするだけなら、それは非人道的な気がするのです。
不倫を本当に問題視したいのならば、何とか関係者たちが軌道修正できるように支援して、後は不倫された側の判断に委ねれば良いと思うのです。
その人に判断能力が無ければ、家族に委ねても良いのかなと思います。
少なくとも第三者が勝手にどうこうして良い問題ではないと思うのです。
僕にそれが出来るかと言えば簡単ではありません。
だから、逆に言えば深入り出来ないと思えば関与しません。
だって叩いたりネタにしたりする時だけ気合いを入れて、助けるとなったら逃げ腰になるって変ですから。