神社巡りこぼれ話は、北海道中の神社を訪れさせていただいた時のエピソードを差し支えないものに限りお伝えしています。
今までに北海道179市町村の一宮はもちろんの事、合併された旧市町村の一宮を加えると200社以上。
更に気になる各市町村の小さな集落の神社全てをまわらせていただいており、1日に数百キロの距離を車で移動して一日当たり20~40社ほど訪れてきました。
今回は「不運の病」にかかった狐の神使のお話で、これは皆様にもぜひ知っていただきたい内容です。
坂の町の神社と病み狐
古くから開拓がはじまった港町は、北海道にしては珍しく、どこも急な坂で狭い道が多いものです。
その港町を訪れたのは、その年初めて雪が積もり、日中溶け始めた時間帯だったでしょうか。
その神社も狭い急な上り坂の途中にある住宅街の一角にありました。
赤い鳥居が見え始めると、私を守っているもの達が口々に騒ぎ出しました。
「病み狐だ!」
「あそこは近付いたらダメだよ!」
「病気がうつるよ!」
守り手達がそんな風に言うのは珍しいので理由を聞こうとしているうちに社の前についてしまい、運転手の流輝先生はさっと車から降りてしまいます。
その日のうちに回る予定の神社が沢山あるからです。
「待って! 皆がここはダメだって言ってるよ」
そう言って追いかけると、道路から社までは数歩の距離しかなく、私達の声を聴いた神主の奥さんと思われる方が中から現れ、にこやかにお参りを勧めてくださいます。
そうなると断るわけにもいかず、お参りさせていただきました。
そこにいたのは焦げたような灰色の狐で、弱っているように見え、薄幸そうな雰囲気ですが、人が良さそうで悪いモノには見えません。
すぐに辞して車に乗り込んだのですが、守り手達がダメだと言った理由を聞く間もなくそれは起こりました。
次々続く不運な出来事
そこから良くないことが次々起こります。
車が急な凍った坂道で制御不能となり、深さ2mはある用水路にもう少しで落ちそうになったり、何とか抜け出すとカーナビが正確な位置を示さず道に迷ったり、開かずの信号に捕まってしまったり、小さな不運が続きます。
「だから言ったのに……」
「やっぱり病気がうつったでしょ」
守り手達がため息交じりにコソコソ言っています。
「うん、ゴメンね。せっかく教えてくれたのに。これって、皆が言っていた病気が原因なの?」
そう素直に謝ると「そうだよ」という返事。
「あの狐はどんな病気だったの?」
そう聞くと、「不運の病」と教えてくれました。
どんな病気かを尋ねると、
「名前の通り、次から次に不運な事が続く病だよ」
「不運の病」は何故起こるのか?
その狐が「不運の病」にかかったのは、「神様を助けようとした」からなのだそうです。
神使ですから神を助けるのが当たり前のように思いますが、守り手達が言うには、神には神の仕事があり、神使には神使の仕事があり、それぞれの分を超えてやってはいけないとのこと。
それは神の仕事を取り上げる事になるからです。
以前「ヒーリング・お祓いは泥棒 — 魂の学び・人間としての学び」という記事を書きましたが、それは神や神使も同じで、自分の分の仕事をしなければいけないし、例え役に立とうと言う気持ちからだとしても、他者の分の仕事や問題を肩代わりしてはいけないのです。
神の仕事を取るという学びの未熟なその狐は「それではダメだ」と思い知るため、不運の病になったのだそう。
不運の病は誰かが作り出したとしても、周囲の人にも影響を与えます。
それは、私にも思い当たるところがありました。
以前の私は家族中の仕事を引き受け、身体を壊し、倒れても、懲りずに全てをやらなくてはならないと思い込んでおりました。
確かにその頃は「どうしてこうなるの?」と思うような小さな不運に毎日次々と見舞われていました。
自分で全てやろうとし、ヒステリーを起こす癖に「助けて」と言えず、弱音を吐いてはダメだと自分を責め立て、周囲の人達も巻き添えにしていました。
「私は私の仕事をする」とこの仕事を始めてから、自分の分の仕事だけに真摯に向き合うようになり、気づけば「不運」が続くことは無くなりました。
守り手達に「不運の病」を祓う方法をきくと、私達であればお互いに手で埃を払うように、背中を祓いあうだけで良いとのこと。
確かにその後、不運は無くなりました。
祓えるようになるには、「自分の分の人生をしっかり生きている事」が必要なのだそうです。
参考記事
http://watamori323.blog.fc2.com/blog-entry-682.html
《わたもり さんの記事一覧はコチラ》
https://www.el-aura.com/writer/watamori/?c=88380