ともくん宮崎からの手紙―! PART.3 邪馬台国と忘れ去られた太陽”日下(ひのもと・くさか)族” の記憶~前編~その1

西都原考古博物館で日本創世の謎を解く冒険の旅へでかけよう

みんさんこんにちわ~! ともくんです。
前回に引き続きトリニティでの「ともくん宮崎からの手紙!」 今回は宮崎県を代表するパワースポットに並ぶ西都原古墳群!

その数300基を超える数存在する、 九州でも最大の謎がたくさん詰まっているスポット!  西都原考古博物館からこんにちわ~!
ともくん定期的に、当博物館でたびたびガイドスタッフとして参加させていただくことになりました~。

まだまだ学んでいくことはたくさんだけれど、 多くの大きいお友達や小さなお友達にいじられたりおっかけたりおっかけまわされたりしながらなんだかんだ奮闘中です笑 こないだ600人もバスで次々と子供らがやってきて、その時はさすがに緊張して一部始終テンパりました……。
分身の術を使いたいくらいのともくんだけれどそんなかんじでこれからもよろしくです!(どんなかんじなんだ汗)

西都原は天孫のお墓といわれる宮内庁管轄の古墳が存在する非常に重要な場所。
観光で来てくださったお客様に喜んでいただくためにも精いっぱい頑張っていくので、みんなもぜひとも遊びに来てね!

さあ、さっそく古代の謎を解き明かす冒険の旅に出かけましょう!

前回の百済王渡来伝説とともに、おなじ場所から上陸していたみやざきの日向神話を本当に伝承していた人々が、存在していたことをともくん一行は知り、それが古代の邪馬台国につながっていた事実を、長い長い時間をかけ、知ることができたのでした。

古代封印されたその人々は、宮崎県では日下部氏(くさかべし)といいました。
前回紹介した百済王族の大年神社の横にある日の出浜こと日置(ひき)浜という場所を聖地と崇める日下部氏が古代竜宮の女神の末裔として、 琉球から上陸して日向総社の都萬神社において宮崎県の管轄を任されていたことがわかったのでした。

ともくんたちが住んでいる町の浜辺から彼らが上がっていることを知った時、本格的にこの伝説を解き明かさなければいけないと実感しました。
百済王族の福智王や大国主をまつる火棄こと、比木神社も(ひき)の名を冠します。

詳しく調べて徹底的な聞き込み調査や、古文書などを読み、霊的な体験を重ねてゆくうちにある衝撃の事実がわかったのです。
「百済王族の皇子とされる墓には、日下部氏の先祖である太陽の皇子が眠っていた! この地に葬られていた」ということが、わかったのでした。

 

ほんとうのみやざきの元祖・神話伝承者だった日下部氏の記憶

特殊な霊的力を持っていた神秘的な神様の子孫が天孫族といった。
実は近年これらの記憶や伝承を持っていた人々がみやざきに存在していたことを知り、そこへ急行しました。

そこは、日向国の総社である都萬神社。
花の神であり、富士の神であるコノハナサクヤ姫を祀る都萬神社では古代の宮崎をまとめていた豪族の日下部氏が神官をされていました。

最初は僕らも「ふうん、コノハナサクヤ姫様を祀る神社なんだなあ。」という認識だったのですが、よくよくそこの伝説を見ると驚くべきことが。
「ここの神は、本来は海の中の龍宮に通い住んでいる妻の女神である」
と書いてあったのです。

神官さんに確認すると、それは事実でした。
宮崎の神社めぐりなどを執筆された方などによると、都萬神社のコノハナサクヤ姫は、縄文の女神である上流の速川にいる瀬織津姫、そのまた先のイワナガヒメと本来は同じ一つの女神で封印されていた。ということなんだそう。
また川の女神瀬織津姫は、別名を、日向津姫「ムカツヒメ」とよびました。

本来はムカツヒメの子孫で天孫族であった日下部氏……。
はるか古代に存在していた消えた日本の秘密を隠し持っていた一族、それは古代の日下部氏だった……。
ということが現在多くの調査や、 伝承などの研究から見えてきているのです。

 

椿 – 彼方へ… Tsubaki – Kanata e… R&B

 

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(画像は全て西都原博物館)