ハワイに伝わるノーズフルートは、 古代から伝わる愛とヒーリングのための大切な楽器

南太平洋の島々やハワイには、古くから伝わる楽器が色々とあります。そのうちのひとつが、ノーズフルート、鼻笛なのです。竹に穴をあけただけの素朴なこの楽器は、長年にわたりハワイにおいていろいろな役割を果たしてきたのでした。

口を使ってではなく、鼻から出る息を使って演奏するノーズフルート — 鼻笛は、オセアニアの島々やポリネシア、アフリカ、アジアなど世界各地で見ることができます。

ハワイに伝わるノーズフルートは、「オヘ・ハノ・イフ」と呼ばれ、現在ではフラを踊る時に使用されたり、ヒーリングのツールとして使われることもあります。

しかしもともとは、愛を語り合うための道具だったという、とてもロマンチックな楽器なのです。

 

ハワイにおけるノーズフルート

もともと文字を持たない民族であったハワイの人々は、自分の愛を相手に伝えるとき、言葉で伝えるよりもこのノーズフルートを用いて伝えていたと言われています。

ハワイのノーズフルートは、竹を切り出して、息を吹き込む部分にひとつ、そして指を抑える部分に3つ、合計4つの穴をあけただけのシンプルな楽器です。

それぞれ独自の音色を持ちますが、基本的にはオカリナに近いような、素朴で暖かい音色です。

ノーズフルートの演奏には、決まった楽譜があるわけでもなく、自由に思うままに吹き奏でるのが、ハワイにおけるノーズフルートのスタイルなのです。

かつて、恋人たちは夕方になると、ヤシの木の木陰などに一緒に座って語らいながら、彼が彼女の横でノーズフルートを自由に奏で、もし彼女が彼のことを好きならそのメロディーを口ずさんで、彼の愛に応えるという具合だったのです。

(写真提供:Geri Nelsen, Hawaii)

 

アンソニー・ナティブダット

約10年前に、私はホノルルでひとりのノーズフルート奏者と知り合いました。

彼の名前はアンソニー・ナティブダット。

オアフ島出身の彼は、私と出会った当時、マウイで「ウラレナ」というハワイの神話を元にしたミュージカルのキャストメンバーとして活躍していました。

その一方で、彼は手作りでノーズフルートを作り、ワークショップを行ったり、演奏会を開いたりしながら、ノーズフルートを広める活動をしていたのです。

ハワイアンの血を受け継ぐアンソニーは、子供の頃に出会ったノーズフルートで、ハワイの伝統や文化を次の世代に伝えようとしていたのです。

そんな彼はノーズフルートのことを「ノーズフルートは魂のために演奏する楽器です。それは自分のためだけではなく、周囲にいる人、自分の先祖のために、心をこめて演奏する楽器なのです」と教えてくれました。

もちろん愛を伝える手段として、用いられていたのですが、「それも言葉で伝えると、時として傷をつけてしまったりすることもあるけれど、音楽であれば決して心を傷つけることはないというわけだ」と説明してくれました。

また、ハワイを含むポリネシアでは吐く息の「ハ」という音が、自分たちの本質であると考えられています。
ノーズフルートを吹くとき、鼻を通して言葉を話すことはできないので、吐く息が本質であるならば、鼻を通して自分自身についてうそをつくことはできないのです。
したがって、「ノーズフルートは誠実さと純粋さを持った大変神聖なものなのだ」と話してくれました。

(写真提供:Angela Sevin)

 

ヒーリングのツールとして

実は私が最初にアンソニーに出会ったのは、あるヒーリングの会でした。

彼は2本のノーズフルートを持ち、椅子に座っている私の後ろに立つと、そっと両肩にそのノーズフルートが1本ずつくるように持ち、静かにやさしい音楽を奏でだしたのです。

彼が演奏する音楽が耳にそっと到達するやいなや、身体全体をある種の電気が走るようなエネルギーが走るのを感じ、非常に不思議な感覚を覚えたのでした。

そしてそのヒーリングが終了した後は、なんとも爽やかな心地と心の軽さを感じたのです。

アンソニー曰く、その人の症状によっても使用する音のピッチが違ったり、音楽のシャワーを浴びせる場所も変わってくるのだそうです。

しかしそのノーズフルートの音色は、まさに魂に響く、癒しの音であることには間違いありません。

残念ながら、アンソニーは2012年に急死されてしまいましたが、今もハワイや日本各地で、彼の意志を引き継ぎ、ノーズフルートのワークショップやヒーリングの会が催されているのです。

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(トップ画像/写真提供:Image from page 156 of “Fiji and the Fijians” (1859)
by Internet Archive Book Images)