心は水でできている!?〜心とはなんでしょう?〜心は対象物に対して自然に反応し、あるがままに感じるものです。

そして水は汚れる事がありません。
私たちがお皿を洗ったり、衣類を洗濯したりと水を使うとき、
水は汚れたように見えますが、
汚れたのではなく、ただお皿にあった油やソースを感じて表現していたにすぎません。
衣類もまた、洗濯機の中で衣類にあった土汚れなどを自分の体で表現したにすぎません。

バケツに注いだ水で雑巾を絞って床を拭くとき、
雑巾をバケツの水で洗うたびに水は黒く汚れていきますが、
それでも水が汚れたのではありません。
水は雑巾の汚れを自分の体で表現したにすぎません。

幾度も雑巾を洗って、ホコリや土や油が溶け込んだバケツの水を
太陽の下に置いておくと、
水は太陽の熱で蒸発し、ホコリや土や油をそのままバケツの中に残して、
純粋な水としてただ蒸発していきます。
水は意識を持っています。
あるがままに体験する事で、あらゆるものを浄化していきます。
私たち人間を構成する最も大きな要素は水です。

 

「私たちはいつも、心を通して感じています。」

心はいつも、目の前に起こることに素早く反応しています。
心は感じるものです。
私たちはいつも、心を通して感じています。

頭で考えることとは違います。
頭で考えることは観念を基にしています。
このようにするべきだ、このようにするのが正しい、といった観念から発しています。

心はいつも感じています。
まるで水のように。

不当なことを経験し、心に怒りが現れたときは煮えたぎったお湯を経験しています。
少し時がすぎて落ち着く時は煮えたぎったお湯がぬるま湯になった時です。
でもその怒りを時々まだ思い出すうちは、まだ水として存在しています。
その出来事や相手に対し、絶対に許さない! といった強いフォーカスを向けるとき水は凍ってしまいます。
凍った水はまさに心を冷たくしてしまいます。

その出来事や相手に対し、許しと愛を向けた時、氷は水となり温められて蒸気となります。
蒸気になったときは、もうその過去に対する自分のイメージが変わっています。

心は水のようです。
ひとつの出来事が、煮えたぎったお湯から一旦冷めて氷となって、いつしか溶けて蒸気になるステップを踏むこともできるけれど、
煮えたぎったお湯を、ただあるがままに感じることでそのまま蒸気になって消えていくこともできます。
つまり、どんなネガティブな感情だとしても、それはただ自分の中に現れた自然な反応として感じ尽くすことで、終わらせる事ができるという事です。
それは、水自身の反応と同じです。
今この瞬間感じているものを感じ尽くしていても、そのものに染まる事なく
いつでも純粋な状態を維持しているのと同じです。

外側に現れるすべては鏡です。
自分の中にあったものが投影されたものにすぎないということを思う時、
どんな出来事も、ただ、自分の中にあった感情を見るためのものだというものです。
現れたものにフォーカスをすると、その場所に固定されます。
フォーカスを手放した時、消えていきます。
あらゆる現象は、現れては消えていくものです。

心は水のようです。
現れた現象に自然に反応し、あるがままに感じています。

もしもあなたの中に凍りついた感情があることを見つけたなら、
それを溶かす事ができるのはあなたです。
許せない誰かがあなたに謝罪するのを待つのではなく、
許せない誰かに対してこの感情を持っている自分を、許してください。
許しは氷を溶かします。
その痛みに愛を向けた時は、その痛みが温まります。
そして蒸気になってそこから離れるのを助けてくれます。

心は水のようです。
現れた現象に自然に反応し、あるがままに感じています。
私たちはいつも、心を通して感じています。

 

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